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メモをとらない教師たち

 学び方を学ばせる教師自身が,学び方を知らないのではないかという場面に出くわすときがある。

 先日,ある小学校の研究会に参加したが,私が見たところ,半分以上の教師は

 メモをとっていなかった。

 指導主事という仕事をしていたためか,教師の一挙手一投足を,子どものそれと同じような感じで

 「観察」してしまうくせが抜けない。

 私のように参観者の評価をしている人間がいることなど,だれも想像していないだろう。

 中学校の教師として,小学校の教師がどんな学び方をしているのかに私は興味があるのだ。

 私の目の届く範囲にいる先生方のメモの取り方もチェックした。

 メモの取り方をしっかり学んで知っている方もいた。

 ただ,それは10人中でたった1人である。

 研究協議と講師による講演が続き,私のメモはA4サイズのノート10ページ分になった。

 それくらい書いていた人は,私の目の届く範囲にはいなかった。

 大事なポイントでメモを取りながら,

 「ここは最も重要でメモすべき時である」

 と感じながら周りを見ると,聞くことに集中しすぎていて,

 手が動いていない人が多かった。

 人間は,耳で聞いて理解することはできるが,

 その理解したことをきちんと記憶に定着させ,自分の言葉で語れるようにするには,

 少しあとでふり返れるようになっていなければならない。

 多くの情報は,記憶から,消えていくのである。

 そんなことは,子どもに教育しているはずである。

 大学時代に,教職教養で学んだ知識があるはずである。

 それなのに,

 自分は実践していない。

 こういう教師では,きっと子どもも同じような状況だろう。

 話を聞くことも大事だが,

 大事だと思ったことをメモすることも非常に大切である。

 しっかりと,「残す」ことが研修では大事なのだ。

 あの教師たちのなかで,その日のうちに「研修報告書」を書きあげた人はどのくらいいるだろう。

 日本の教育界で,その場に参加していた教師は,本当に研究熱心な人たちであるはずである。

 その人たちの多くに

 「聞いているだけで,あなたの明日の授業のどこが変わるのか?」

 と問いかけたい気持ちでいっぱいになった。

 子どもをただ見物しに来ただけなのだろうか。

 見世物となっている子どもたちは,本当に気の毒でならない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より