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『明日ママ』どころの騒ぎではない

 コンピュータのプログラミング技能を磨く前に,身につけさせておきたいことがある。

 それは「人間らしい受け答え」の能力である。

 「きみ,それはないだろう」と言われたら,まず「何かまずいことをしたかな?」と自問自答する習慣をつけさせたい。

 しかし,この回路が完全に遮断されている人間がいる。

 「おれは悪くない」・・・・小学校低学年ならわからないでもない。

 しかし,こういう人間は,中学生にもいるし,そういう中学生の親の中には,子どもよりその「度合い」が高い人もいた。

 自分の思考回路は正常であることを普通の人間は強調する必要がないが,

 「おれは悪くない」タイプの人間の中には,それをひたすら主張し続ける人もいる。

 「おれは正しい」ということを,常に自分に言い聞かせることで,

 「おれは悪くない」モードが維持できるようにしている。

 大きくなってから,不幸に見舞われてそういう人間になってしまう例は,教員にも見られる。

 ただ残念ながら,こういう教員の「言い訳」「私の考え」の特集をつくってしまったら,公教育への信頼は地に堕ちてしまうだろう。

 産経新聞でしか読めないかもしれないが,例の団体の集会で報告されたコテコテのイデオロギー授業には驚いた。ほとんど「反政府運動」である。学校(校長)はおろか,教育委員会のコントロールが全くきいていないこともよくわかる。

 いじめへの対処の問題も真剣に論ずべきことだが,日常的な授業で大変な目にあっている子どもたちを救うことができていない。

 こういう教師が,たとえばテレビの取材を受けて,自分の主張を電波に流してしまったら,さすがの日本でも暴動が起こるかもしれない。

 「明日ママ」どころの騒ぎではない。

 「反原発運動」を煽る先生が使っている資料は,だいたい想像がつく。

 一部の参加者は,「取材を拒む」というスタンスだったらしい。

 秘密でなければ成立しない。

 日本人向けの愚民化政策の基本は,「一面的な情報の伝達」である。

 これは,小学校の社会科教育の特色でもある。

 中学校の社会科の目標にある,「多面的・多角的に考察し」は,ぜひとも小学校にもおろしてもらいたい。

 なぜなら,中学校からでは「遅い」からである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より