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100%管理職試験に合格できない人の特色

 教員には,管理職に自分からなりたいと思ってなる人がいる。

 もちろん,試験と面接を通して,選ばれて決まる。

 勤務成績,実績が物を言うことはもちろんである。

 地域によっては,選ぶ人間が汚れているために,「ふさわしい人物」が選ばれない場合もあるが,その問題はここではふれない。

 ただ一言,選ぶ人間が汚れていても,ふさわしい人物が選ばれることもある。

 さて,本来は,どの教員にも,管理職として仕事をするための資質が育まれるべきであると私は考えるが,どうしても管理職に向かない人というのが学校現場には存在する。

 たとえば,「いい加減な人間」である。

 時間が守れない。

 ものが整理できない(ものをすぐになくす)。

 重要な報告・連絡・相談ができない。

 こうした「いい加減な教師」は,子ども受けする場合はある。しかし,一緒に仕事をする教員は苦労させられる。

 こういう教師は,教師からの・・・もちろん管理職から評価されることはないから,

 管理職試験に合格することはできない。

 次に,「危機管理意識のない人間」も,管理職にはなれない。

 学校の常識・・・いや,組織の常識に,「大きな問題が発生した場合,管理職以外の人間が勝手な意見を外部にもらしてはならない」というものがある。

 「○○くんが自殺したのは,○○という担任の指導が影響したという子どもの噂がありますが,本当ですか?」

 マスコミに,あるいは,保護者から,帰宅途中でこう問われたとき,一教員が自分の考えを口に出すことはあり得ない。

 しかし,驚くべきことに,「なぜそれがいけないか」が全く分からない人間が教育現場にはいる。

 理由は,「意見を述べる自由はだれにでもあるから」だそうである。

 「個性を重視すべき」だからだそうである。

 「自由」には「責任」が伴うものという観念が,大人になっても身についていないのだ。

 問題発生時と,平時の区別がつかない。

 大きな事故が起こらなければ,こういう人間でも生きていけてしまうのが,学校という「平和ボケ空間」である。

 こういう教員にはいてもらっては困るのだが,問題さえ起こらなければ,実害は出ない。

 噴火しそうでしない火山のような存在である。

 ぬるま湯のような温泉に浸かってばかりいると,いざというとき,組織そのものが崩壊しかねない問題を起こす可能性があるので注意が必要である。

 ごくまれに,ただ「偉くなりたい」「給料をもっともらいたい」ことだけが動機で管理職になろうとする人間がいる。

 こういう人間は,自分のことしか考えていないから,

 「組織で動く」という発想がない。

 教務主任とか生活指導主任を経験せずに,管理職試験を受ける人がいるというのも驚きである。

 私は学年主任の経験があるが,自分の実感からも,学校の規模が小さいと,そもそも「組織で動く」という実感を得ることすらできないのかもしれないと思ってしまう。

 「私は私」「あなたはあなた」という発想が社会人になっても全く抜けない人間をつくってしまう教育には,課題があると言わなければならない。


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コメント

組織が大きくなるにつれ、何もしない人間ばかりが出世するというパラドックスがあります。
公務員組織はもっとその傾向が強いのではないでしょうか。
 少なくとも何も失敗していない=管理職になる条件
向き合わずに見て見ぬ振りをする、そして被害者が泣き寝入りするようにし向ける
これが今の学校教育の多くの現場で行われている真実でしょう。

向き合わないには明確な理由があります。問題に対処する能力が全くないからです。
大津市のハンマーで襲われた元教育長がこれに該当するでしょう。無能であるから管理職になれたというのが学校の人事制度なのでしょう。

また、向き合う能力があるとしたら、学校という組織では何もかもその人一人にやらせておけになり、結果鬱病などになってしまう可能性が高いのです。ちなみに教員の鬱病などの精神疾患発症率は民間の2.5倍にもなります。

現在は多数派が無能と人格障害であり有能な対処能力がある人は少数派であるでしょう。

多数派が対処能力があり有能であるには採用基準を明確にして、教育と関係ない項目での選別をやめるべきです。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より