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小学校・歴史教育の抜本的改革案(読書編からの転載)

 世界史を必修にするとか,日本史を必修にする・・・なんてちっぽけな議論をするのではなくて,国の指導者には「歴史教育の抜本的な改革」を提言するくらいの発想力がほしいですね。

 地理とか政治・経済は,実際に目で見える範囲,肌で感じる範囲で動いているものを扱いますが,歴史だけは次元が異なっていて,時間を超えたスケールで今をながめる知恵を授けてくれるものですから,もう少し大きな目で物事が判断できるような教育の実現を考えてほしいものです。

 たとえば,

 小学校では,「さかのぼり型」=「テーマ史」

 中学校では,「通史型」

 高等学校以上は専門家が教えることになるので,教科書はあっても,教える内容は何でもありとするとか。

 そして,大学入試では,小中の内容を基本とし,教養問題として出題する。

 「勉強する動機は入試のみ」なんていう情けない今の状況から脱出し,魅力ある学習を高校でつくってもらうためにも,これが一番かと。

 さて,小学校での歴史学習の抜本的な改革案です。

 日本史の人物学習など,中学校できちんと時代背景とセットで学んだ方が理解が深まるので,全く必要ありません。むしろ,現代からの視点だけで過去を評価するような「誤解日本史」が定着している問題を解消できます。「歴史嫌い」という発想が生まれること自体,もはや「教育しない方がまし」の状況です。

 小学校なら,「言語の歴史」「宗教の歴史」「農耕の歴史」「お金の歴史」「民主主義の歴史」「報道機関の歴史」「工業の歴史」,もし余裕があったら,「戦争と兵器の歴史」を学んでくれれば十分。

 最初に接する「歴史学習」で,「歴史を学ぶ意義」そのものが学べます。

 今につながる世界の大きなテーマに沿った歴史の流れを知った上で,日本の歴史をしっかりと学習する,そういう新しい「歴史教育」の流れをつくることで,超近視眼的な発想をする人が減り,常にあっちいったりこっちいったりする情けない学習指導要領の変化がなくなることを期待したいです。

 長い歴史と伝統を学ぶためのルールがころころ変わる,というのはいかにも「学ばせる気があるのか」という印象を強めてくれます。 

 ついでに言えば,小学生に,あんな薄っぺらい教科書など必要ありません。

 百科事典があればいい。つまり,電子辞書があればいいということです。

 ネットにつながってしまうと,ゲーム機や通信機になってしまうので,タブレット型の電子辞書を売り出してほしいところです。

 仮想・・・・本書で「歴史」を学んだ小学生の感想文

 「言語の歴史」

 ・・・英語を学んで,将来の職業に生かしていきたいです。

 ・・・語順のパターンで言語を分類したとき,日本語が最も多い語順のグループに入る,ということは意外でした。

 ・・・同じ言語でも,歴史を隔ててかなり大きく変化してきていることがわかりました。

 中等教育に進むことの意義も,しっかり把握させられるのが,この改革案の特長です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より