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教育現場に市民の声が届かない

 「地域に開かれた学校づくり」が実現するのはいつのことだろうか。

 今,教育現場に「市民の声」がしっかりと届くしくみはあるだろうか。

 「地域」や「市民」の「要望」を聞きはじめたら,「きりがない」と教育委員会事務局は思うだろう。

 だから,教育は変わらないのである。

 「市民の声」ではなく,「市長の声」だと,「政治の介入だ」と騒ぎ始める人間たち。

 そんな程度で騒いでいるようでは,永遠に「市民の声」が学校に届くことはないだろう。

 「市長の声」が学校現場に届く仕組みをつくると,

 「学校現場が委縮する」という表現をしている人がいるが,

 そんな声で委縮しているようでは,そもそも今の公立学校の教師などつとまるわけがない。

 私のような現場の人間と,

 安倍政権がやろうとしていることを危惧する人とのギャップは,

 それこそ計り知れないほど大きなものである。

 教育委員会の人間なら分かることだが,「市長」に限らず,「議員」がしっかりとした考えをもって,筋の通った回答を教育委員会に求める機会などいくらでもある。

 教育委員会が,学校に指導する立場であり続けたければ,市長に限らず,

 様々な立場からの様々の要望にしっかりと耳を傾け,誠意をもって対応するべきである。

 それが今,できていないから,どう変えるかを検討しているわけだ。

 人材不足が否めない自治体もあろう。

 人材不足という問題を教育委員会内だけで処理してすませられるような時代ではない。

 市町村ではなく,都道府県なら,すでにもうその問題には気づいている。

 だから,「変わる」必要があるのだ。

 ストレートに書けないのがもどかしいが,

 最初に戻って,改めて問いたい。

 今,教育現場に市民の声は届いているか?

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より