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【提言】 余計なお世話ですが・・・大阪市小中の教科書統一を機会にした学力向上策を一つ

 大阪市立の小中では,平成27(小),28(中)年度から使う教科書を統一して採用することに決定したそうです。

 市内で転校しても支障がないこと,市内で同じ教科書を題材にした教材研究の成果を共有して,教員の資質向上を期待する,などが理由のようです。

 後半のねらいについては,それを補強するため(具体化するため),こんな取り組みをしてはいかがでしょうか。

 市内の中学校では,定期考査の日程を同一にします。

 そして,問題は,市内の中学校から選抜された教師が議論しながら作問したものを使用します。

 たとえば社会科でいう「暗記だけでできてしまう」ようなテストは,各校でそれぞれ行うこととして,統一(共通)問題としての定期考査では,そうやって身に付けた基本的な知識や技能を活用して解き,思考力や表現力が評価できるような問題として,評価基準もある程度の統一を図ります。

 このような「市内統一定期考査」を実施しているところはおそらくどこにもないでしょう。

 実現すれば,とても画期的な取り組みとなり,大きな効果が期待できます。

 まずは,教師の作問技術の向上です。

 市販のテストやワークのようなレベルの問題ではなく,紙面をいっぱい使って多くの資料を使うような,「本物の実力がついたかどうか」を確かめられるような問題づくりは,ベテランになってもなかなか難しいものです。

 そういう問題は,生徒が解くことによって学力がつく,という効果もあります。

 定期考査を解いている間に,実力がたしかなものになっていく,そんな経験を子どもにさせたことはありますか?

 「第一次世界大戦は,西暦何年に始まって,何年に終わりましたか?」

 なんていう意味のない問題はだれでもつくれるのですが,

 「第一次世界大戦が,日本の政治や経済に及ぼした影響」に関して考えさせるような問題をつくるには,教科書のどの資料を基本にするか,初見の資料で活用可能なものを何にするか,など,たくさん検討すべきことがあります。

 こういう問題づくりに慣れることで,授業そのものが変わってきます。

 他の教科についても,きっと同じことが言えるでしょう。

 自分の学校の教師が作った問題は解けるけど,他校の教師の問題は解けない,なんてことでは,「確かな学力が定着した」とは言えないし,そもそも別々の授業,評価材料で評定を出しているのが現状なので,評定の信頼性も低かったわけです。

 評定の数字に,かなり信頼性の高い裏づけをつけることができるようになることも,軽視できない効果でしょう。

 大阪市に直接の知り合いがいるのですが,現場の教員はこういう提言を行う余裕はないかもしれません。

 大阪市の空気も読めませんし。

 行政が「やる」と決めて,すぐに出張費などの予算計上に入ってもらいたいものです。


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コメント

完全にしろうとだけだと,「偽物」が見抜けない,という問題もあるんですよね。

そもそも,「すばらしい授業をする先生」と言った時の「すばらしい授業」のイメージがない人には,選びようがないのです。

大阪市の校長たちは、体罰無くして荒れた学校をどうやって直せるのかわからないなんて言っているようで、荒らしているのは生徒ではなく教員の方ではないかと思えます。
 特別おかしい大阪市、教員免許偽造の教師が何年も教員でいたとかそういう話が絶えません。元教員、元校長とは全く縁が無い人間や組織が採用を決める以外方法はないでしょう。

 元教員、元校長の極端に偏った人格では採用がおかしいのは当たり前です。
体罰の必要性を主張する前に、自分の指導方法の欠陥を考えないのですからどうしようもありません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より