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都合が悪いことは書かない「×××」

 何を書いて,何を書かないか。

 ブログにしろ,新聞にしろ,小説にしろ,そこにあるのは「書き手」の自由な選択である。

 しかし,「自由」が自分自身の利益を重視したものであれば,

 当然そこには周囲からの批判がつきまとうことになる。

 たとえば,特定秘密保護法に反対している新聞社のなかで,

 「尖閣漁船の衝突映像公開」について,扱っていないところがあるらしい。

 この漁船衝突事件や映像の公開に関して,菅直人=民主党政権がどのような態度をとったか,お忘れの方は当時のニュースをさかのぼっていただきたい。

 ネットで映像を公開した一色氏は,当時の官房長官から「犯罪行為だ」と罵られ,守秘義務違反=国家公務員法違反容疑で書類送検され,退職している(最後は起訴猶予)。

 現政権=安倍総理の立場は,「映像は特定秘密に当たらない」というものである。

 「摩擦の発生を防ぐ」ことを目的に,情報を公開しない,そういう当時の政府の態度も理解できなくはないが,

 特定秘密保護法に反対する新聞が,その法律の趣旨への理解を高めるようなことは書かない,という方針をもっていたとしたら,私ならこのように説明する。

 自分に都合の悪いものは公開しない,という態度を積極的に批判する人間ほど,

 自分自身にとって都合の悪くことを隠す癖がないか,疑ってかかるべきである。

 公務員なら,守秘義務が伴うことは言うまでもない。

 教育ブログの中には,学校経営に直接かかわっているわけでもない教員が,経営者の言葉をおそらくは何のことわりもなく,漏らしているものがある。

 教員には,情報モラルに限らず,マナーやモラルに欠けた人間が少なくない。

 私自身,児童生徒のころにもそういう認識を持っていたが,実際に教育現場に入っても,その点の印象は全く同じだった。

 ただ予想と違っていたのは,

 「まともな生徒が多い」ということだった。

 さて,学校の内部のことを公開する,という姿勢は,

 子どもを学校にあずけている立場の人間からすると,ありがたいことの方が多い。

 知ってしまって損をすることも多いのだが,それを知らないままでいて,いつか大きな不利益を被るより,ある程度は予想していて,困る,という方が,対策を講じる上での心のゆとりがもてる。

 最初の話題に戻すと,

 要は自分自身というより,だれかのために遠慮して,書くものと書かないものを分けるような人間の表現は,どうしても「つくりもの」としての印象が漂ってくる。

 「つくりもの」ばかりつくっている人々が,いざというとき,

 自分がやっていることと同じことをしている人間を批判するというのは,

 何とも情けない話である。

 教科書に書かれていることに,ふれない教師もいる。

 教科書に書かれていないことに,ふれる教師もいる。

 敏感な子どもたちは,すぐに気づく。

 それを,生きる上での知恵に結び付けていってもらいたい。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より