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【回答】 担任教師とのトラブル解消法

 コメント欄に以下のようなご相談があったので,お答えいたします。

 あまりに具体的な内容のご相談の場合は,お答えすることが適切でないこともあるでしょうが,今回はよくあるケースなので,一般論として,私なりの考え方をお伝えしたいと思います。

*********************

こんにちは、はじめまして小3の女の子の母です。

聞いてください。担任と電話で我慢できず、おもっていることを言ってしまいました。ちなみに、4年も担任の予定です。

いつも子供達の前では、とても怖く、よく手が出たり、平気で人を言葉で傷つけることをいいます。体罰もありました。しかし、大人たちの前では、調子よくて大人の汚さを感じます。
私は日頃からその担任がうちの子供にとても傷つくことを言い、他の子と差別されたことに、つい我慢できず「子供もわたしも傷つきました。あなたのことも信用していません。」と色々と言ってしまいました。
すると、あちらは、モンペにぐらいにしか、思っていないのでしょう。「はいはい、すいませんでした。」と電話を切られてしまいました。が、また、子供に対して何かキツイ言葉で仕返しをされるのではないかと心配です。

何かアドバイスお願いします。

*********************

 まず,ご相談いただいた方に,率直に申し上げます。

 感情的に担任にぶつかっていったことは,失敗でした。

 相手の担任教師は,感情で動くタイプの人間であると想像できます。

 そういうタイプの教師に「怒り」をぶつけても,反発しか返ってこないでしょう。

 もちろん,担任教師の行動に,「怒る」のは当然のことです。

 「体罰」「暴言」「不当な扱い」「いい加減な対応」は,公務員としてはもちろん,人間として許されざる行為です。

 しかし,それに対する「怒り」を,直接,担任に向けるのは,

 担任が子どもに「怒り」を向けているのと同じレベルの行動になってしまい,逆効果になります。

 まずは,担任の「行動レベル」「人間レベル」を超えなければなりません。
 
 心理的に,自分がより冷静で,有利な立ち位置にいることを実感できるようにしてください。

 子どもを守るために,親として心がけるべきことで,

 なかなか実行できない第一関門は,ここなのです。

 次に,ご自分の感情を抑えることができましたら,

 事実をきちんと記録する段階に入ります。

 ついつい頭にくる情報が入ってくると,記録がおろそかになり,

 「何だか気に入らないことを言われた」という印象ばかりが「怒り」を増幅してしまう,という悪循環に陥ります。

 ですから,第一関門を突破するためにも,できるだけ冷静になり,

 まずは「担任の落ち度」よりも,「子どもの落ち度」に関する担任の言い分を冷静に聞き出して

 しっかりと記録をとるようにします。

 「自分の子どものどういう点がいたらないのでしょうか

 と,できるだけ丁寧に依頼してください。

 そして,「だから先生は,~という言葉を子どもに投げかけたのですね

 と確認してください。

 そして,

 「親として,どのようなアドバイスを子どもにしたらよいのでしょうか
 
 とたずねてください。

 この記録は,子どもための「最終兵器」になると言ってもよいでしょう。

 少しだけまともな教師だと,こう言われただけで恐縮し,自分のしたことの問題に気づいて,

 「感情に流される行動」ではなく,「少し頭を使った行動」をとるようになってくれます。

 しかし,第二関門は,こういう質問に担任がまともに答えられない場合と,

 担任の答えがあまりにも理不尽である場合,「怒り」の感情が再発してしまいますので,

 そこもこらえた上で,管理職への相談,という段階に進みます。

 管理職に相談する上でも大事なのは,

 できるだけ詳細な「記録」=「文書」があることです。

 公務員にとっての弱点は,「正式な文書」です。

 公務員の仕事は文書主義ですが,学校現場の場合,教員は実務が多すぎて,この「文書」に関する感覚が養われておらず,センスがまるでないのが一般的です。しかし,管理職だけは違います。法令にのっとった「文書」を扱えるようになることが,管理職試験に合格する条件だからです。

 校長や教頭が一般の教員と最も異なるのは,「文書で動く」点です。

 「担任教師の指導に関するお問い合わせ」といったタイトルで,

****************

 1 いつ

 2 どこで

 3 担任がだれに何をした(何を言った)

 4 その背景となる事実

 5 双方の認識の食い違い,子どもの言い分

 6 担任の言い分

 7 保護者としての意見

 8 1~7をもとにして,管理職のご意見をうかがいたい

****************

 なんていう流れでお手紙(文書)を作成してみて下さい。

 1~7までのセットは,1つの出来事について1枚の文書にしてください。これを10個くらい集めて,提出してみたらいかがでしょう。

 そして,管理職からの回答があり,それについても納得できなかったら,この文書に「管理職の言い分」という項目を付け加えて,今度は,「~教育委員会教育長」宛に,文書を作成してみてください。

 校長に命令を出せる「上司」にあたるのが,市区町村教育委員会教育長です。

 教育委員会にこのような文書が届くと,目を通すのは「指導室長(指導課長)」とか,上席の(経験年数が最も多い)「指導主事」になり,実際には教育長まで届かないかもしれませんが,管理職への指導は入ります。

 それでも何も進展しない場合は,この文書のうち,プライバシーにあたる部分を配慮して修正したものを,マスコミに提出しましょう。

 このような文書を実際につくってみると,たいてい,子どものいたらなさよりも,教師の過剰な反応(行き過ぎた指導)が明白なものになります。

 もちろん,冷静になることで,子ども自身が抱えている問題(集団不適応,学力など)の方が大きい・・・ことに気づく可能性もあります。この場合は,むしろ「親と教師が協力し合って,子どもの適応力向上,学力向上に取り組むこと」が重要になります。

 お子さんの受けた心の傷は,教師や親が想像する以上に深いものである可能性もあり,スクールカウンセラーなどへの相談も視野に入れておいた方がよいかもしれません。

 簡単で思いつくままを書いてしまって恐縮ですが,少しでも問題の改善に近づくことができることを,お祈り申し上げます。


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コメント

世の中の学校のさまざまなトラブルは,99%,深刻な結果を迎えずに,いつの間にか「解決」されたかのように過ぎ去っていきます。

「嵐が去る」のを待つ方が,

「嵐を起こしてでも問題の所在をはっきりさせる」ことよりも一般的であるために,学校の危機意識は高まっておりません。

教師や親よりも子どもの方が,よい方向にも悪い方向にも,予期せぬかたちで「変化」しやすいということもふまえた上で,決して「目を離さずに」・・・・現実問題として難しければ,「心を離さずに」・・・・「教育」に向かっていきたいものです。

個人的な懸念ですが、管理職が手紙を見ていなかったなどの言い訳ができないように内容証明郵便を使うのも場合によっては必要なのかもしれないと思います。
 問題の内容が具体的になると管理職の失敗と見なされるからです。学校で多発しているいじめが隠蔽される傾向が非常に大きい一番の理由はここにあります。
 現状では悲しい事に「失敗が無い=何もしない」となっています。問題を認めて対処するという当たり前の行動がこの事によって妨げられています。
 弁護士に立ち会ってもらう必要がある事もあり得ます。
http://www.yoshihara-lo.jp/otsu-ijime/
↑大津市での自殺事件の公判経過が載っています。
また、桜宮高校のような体罰もあり得るので、このような悲惨な事件にならないよう最大限の配慮をしながら、記録をしっかり残し言い訳できないように、知らなかったとかそういう言い逃れができないように、冷静に行動されますようお願いします。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より