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「褒める教師」への私の抵抗運動

 「大人に褒められることを人前でする」ことに抵抗を感じるのは何歳ころからであろうか。

 「人目を気にする」ことは,精神的に成長しているしるしでもある。

 私の娘はまだ幼いので,学校で,掃除をさぼらずに頑張ったことを讃える「カード」をもらってうれしそうに持ち帰り,家でも部屋の整理整頓に精を出していた。

 子どもはとても単純である。褒められたらうれしくなる。

 褒められたくて,行動を起こす。

 ・・・・しかし,私の場合は,それとは別次元にいた自分自身を思い返す。

 小学校1年生か2年生のときである(担任の先生が女性だった記憶があるから,低学年だということ)。

 私はごみが机の下に落ちるような作業をするとき,自分の作品を作り終わった後,いつのころからか,教室中のごみを拾って集めるのが習慣になっていた。

 ごみを拾い集める私を見る担任の先生の目は,少し戸惑っているようでもあった。

 なぜ私がごみ拾いを始めたのか。理由はよくわからないが,おそらく休み時間かどこかで,ごみを拾ってごみ箱に入れている子どもが褒められたとき,「みんなでまねをしましょう」とでも担任の先生がおっしゃったのだと思う。

 私はじっとしているのが苦手なタイプだったから,自分の作業が終わったら,教室内を(ごみを拾って)動き回ることは,うれしくて仕方がなかったのだとも思う。

 しかし,大方,ごみを拾い終わってしまった後も,ごみを求めて這い回っている私に,担任の先生は困惑していたに違いない。

 これは,私なりに「意地」をかけてやっていた行動で,先生に褒められたい,というよりも,むしろ「困らせたい」という願望があったのではないかと思ってしまう。

 そのころから私は,

 「人前で褒められることを嫌う子どもがいる」

 ことを知っていた。

 「恥ずかしさ」もある。

 しかし,一番こわいのは,

 「あいつ,先生にいいところを見せたくてやってるな」

 と嫌な目で見られることであった。

 実際に,先生に褒められて,うれしそう,というよりも,困ったな,という表情をしている子どもをよく見かけた気がする。

 私自身にも,そういうところがあった。

 だから,「教室這い回り行動」は,そういう「褒めて子どもにいい行動を起こさせよう」とする「単純」な教師への抵抗運動だったのだと考えることができる。

 娘がどういうふうに成長するかは分からない。

 部屋の整理整頓が,「三日坊主」で終わらないことを願っている。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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