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批判対象の「極端化」で自説の意味を訴える人たち~内田樹をはじめとして

 『内田樹による内田樹』を読んでいて,改めて感じさせられたことです。

 「教員叩き」に対抗するために書かれた本が『先生はえらい』だそうですが,「教員叩き」が,いかにも無責任なかたちで行われているように,紹介されています。

 どのような批判がどのような意味で問題なのかは紹介せずに,

 「批判すること自体が問題なのだ」ですませてしまっている。

 こういう態度では,教育にかかわらず,何も変わりはしないでしょう。

 教師が「孤立」「疲弊」「委縮」しているのは,政治主導で教育改革が求められているからだ,としていますが,そもそも「政治」=「悪」みたいな発想で,「政治」=「国民の声をしっかりと行政に生かすもの」というイメージを欠落させているから,教師を批判している人間がとにかく悪い,という印象ばかりが強められるようになっているのです。

>今の日本の政治家やオピニオンリーダーを見ていると,彼らはたぶんほんとうの「戦場」ではぜんぜん使いものにならないだろうと思います。

 その理由を,部下を罵倒しているばかりの指揮官の無能さで説明しようとしている。

 震災のときの菅元首相の話だ,というなら,なるほどと思いますが,政治家はそういうことだけをやっているわけではない。

 内田樹の「教育改革」嫌いは,自分が大学で余計な仕事を増やされ,時間を無駄に費やされたことにムカついているだけであって,哲学者の話にしろ何にしろ,後付けの論理がくっついているだけのように感じてなりません。

 内田樹が言いたいことは,「そう主張することで,何を主張しようとしているのか」という話で,それは自分自身にこそ訴えかけてもらいたい内容に他ならないのです。

 全く同じ症状を示している教育ブログもありますね。

 学校の危機的状況は,とにかく教師・保護者・教育委員会などなどが,一体となって取り組まなければならないのです。

 そこに「本気」を注ぎ込まなければならないのに,足を引っ張ってばかりの人間がいる。

 商取引の世界と,友達づきあいの世界をなぜ一緒に考えなければならないのか。
 
 仕事と交友,趣味の世界を区別できない人が,昔から一貫した「批判原理主義」に従って「文句を言う相手」を探している・・・・。

 文章を書いて稼ごうとする人ならそれでいいかもしれないのですが,

 たとえば本気で教育の現状を改善しようとする人なら,

 どこに問題があるかを真剣に考えなければならないはずなのです。

 現場をつぶさに見なければ,本当にどこまで深刻なのかはわからないと思います。


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コメント

教育現場は,このままでは本当にもたないかもしれません。

現状が悪化すればするほど,政治的な介入が増えていくでしょう。

そうすればさらに悪化するというのが,哲学者の考え方。

現場としては,少しはましになる,というのが私の考え方。

でも,最後にがんばらなければならないのは,教師自身に他なりません。

他人の極論には耳を貸さず、自分たちの都合で拡大解釈と矮小化を使い分け、保身と体裁を最優先する、それが教育関係者たち。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より