教師とは,子どもだけを相手にする職業なのか?
とても気の毒な生育歴をもった方が,ブログでそれを公開している。
教師を長くやっていると,問題行動を起こす生徒の生育歴の情報がどんどん積み重なっていき,経験的に生育歴ごとの指導を工夫するようになっていく。
嘘が平気で言えるような人間は,そうしないと自分が守れない経験を子どものときに嫌というほどしてきて,ある時期から,「嘘を言っている自分は本当の自分ではない」ように思い込み,罪の意識はどこかに消し飛んでしまう。
「他人になりすまし,自分でコメントを入れているだろう。だって,どんな時間に記事を書いてもすぐにコメントが入るなんておかしいだろう。」という指摘があったら,なんとコメントは常に早朝だけ入るようになった。
これが「二重の意味で不自然である」ことに気づけない。
「気づく必要がない」からである。
人を言葉で傷つけ,容赦なく攻撃する。そういう人間は,たとえ大人になっても,だれかが「救う」ことが必要である。
教師は「子ども」だけを相手にしていればよいのか。
そうではない。そうではないケースが想像できない人間は,現場の教師にはいないだろう。
教師は子どもといる時間が長いが,子どもによっては,親と話している時間の方が長くなることがある。不登校の子どもや学校をさぼって徘徊しているような子どもの親である。
多くの場合,親は子どもとそっくりな面をもっている。感情的で,短絡的で,単純なところが似ている親子が多い。
しかし,親は,子どもと違って,さすがに「大人」である。
「本当に大丈夫か,この人は・・・」と思う人でも,しっかりとした会話によって,時間をかければ,お互いに理解し合えることもある。
「おれはこんなにまともなのに,どうして子どもはバカなんだ?」
なんていうキレ方をしていること自体がまもとでないことがわからない人がいる。
同じレベルに立ってはならない。
「こんなこともわからないのか?」などとこっちが短気になってはいけない。
教師の仕事のすべては,「丁寧さ」が重要である。
無責任タイプの教師は,「子どもには可能性がある」なんていう「言い訳」をして,何もしないまま放っておいたりするが,そんな態度で何もしないような「公務員」は必要ない。
親からできるだけ多くの情報を得て,指導に生かそうとする姿勢が必要である。
指導力不足の教師のなかに,このような親と「まともな話」ができない人間がいる。
たとえば,「あの親は壊れている」「工場に出して修理しないとだめだ」なんていう表現ができる人間である。
こんな人間は,すぐにでも学校現場から追放すべきである。
「だれでもわかる間違いに気づかない」なんてことを理由に,「壊れた人間」なんて呼び方をする人間は,特別支援の教育にかかわる資格はない。
残念ながら,特別支援教育の現場でも,多くの問題が発生する。
それを子どもや親のせいにするようでは,公務員としての資格がないのだ。
教師の仕事を自分の都合のいいように解釈する教師は,「救済」の対象である。
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