研修の講師が最も喜ぶ褒め言葉とは?
教師になると,実に様々な研修を受けることになります。
それはつまり,実に多くの「講師」と出会う,という意味でもあります。
教師たちにとって,多くの「講師」の話のうち,どのような話が強く印象に残っていくものでしょうか。
最も印象に残りにくいのは,事務的な褒め言葉や機械的な内容の説明です。
別に,その人から聞くということに特別な意味はないだろう,と感じてしまうと,「印象」に残ることはありません。
研修に求められるものは何でしょうか。
私の学校の先生たちは,「すぐに役に立つようなことを教えてください」などと聞かれると,たいてい
「そんなものはありません」と答えます。
研修とは,そういうものではないのです。
小学校の場合,「どうしたら子どもを静かにさせられるか」なんてことをわざわざ本で紹介している人もいますが,そういう本を読む人にとって必要なのは,研修ではなく,実践経験です。
「先生のおかげで,子どもたちが静かになりました」なんて感想を聞いて,うれしくなるような人間にはなりたくありません。
社会科の研修で講師を頼まれるということは,社会科という教科の専門性が土台になっていないといけないのですが,たとえば研修を受けた先生方が,全く新しい資料の使い方とか,子どもの動かし方を聞いて,そのときは「あっ」「なるほど」と感じても,いざその単元を教えるようになって生かせるようになるかというと,そんな簡単な話ではないでしょう。
知識として知らなかったことを聞いて,それをすぐに実践にうつせるようになるほど,教師の仕事というのは簡単ではありません。本来,教育実習でそのことを痛いほどわかっている人に教師になってほしいのですが。
教師は,常に学び続ける存在なのです。
「社会科のことをたくさん知っているから,優れている」なんて思われて,いい気分になるようなのが「講師」では,研修の成果はたかが知れています。
「社会科への造詣が深いですね」なんて褒め方をされても,うれしく感じない人間が「教師」でしょう。
「自分はまだまだ」と思っていて当然だし,「学ぶことなんてもうないのでしょうね」なんていう目でもし見られたとしたら,「教師失格」と言われているのと同じになってしまうのです。
教師は,「学び続ける人」のモデルでなければなりません。
研修では演習も行いましたが,そのおかげで,参加の先生方から多くのことを学ぶことができました。
「正解を探そうとする癖」を直に感じました。
だから,「失敗が堂々とできる癖をつけること」の大切さを訴えることができました。
「授業は勉強ができる子どもだけが活躍できる場にしない」ことの大切さを改めて実感してもらうことができました。
私が指導主事の先生を通して研修の感想をお聞きしてうれしかったのは,
「これでまた明日から,リフレッシュした気分で生徒と向き合うことができる」とか,
「社会科の教師というよりも,一人の教師として学べたことが多かった」というものです。
それは,本当にお互い様だからです。
「社会科の教師の逆コンピテンシー」の話を続けようと思いましたが,長くなりそうなのでここでやめておきます。
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