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ドラマ 『明日、ママがいない』 をきっかけとした人権侵害

 教材として扱うものに対して,「発達段階」という分かったようで分からない基準によって,

 「それはふさわしい」とか「ふさわしくない」などと言われることがあります。

 そういう判断こそが「ふさわしくない」ことがなかなか分かってもらえません。


 「赤ちゃんポスト」を設置する熊本市の病院が,児童養護施設を舞台としたドラマについて,

>養護施設の子どもや職員への誤解偏見を与える

 として,人権の侵害にあたるから放送の中止を求めることになるらしい。

 病院の主張は,おおむね理解できるでしょう。

 ドラマの一部を見せて,その影響を子どもに考えさせることもできるでしょう。

 ドラマの制作者と病院の関係者という立場で,討論させることもできるはずです。

 ただ,今の学校現場では,ここまではっきりと対立が浮かび上がる,しかも現実の生々しい問題について討論させることができるほど,

 「足下」

 がしっかりしていない現状があります。

 さらに,「特別な配慮」を求める声が必ずあがる。

 そして,教材化を構想するだけで,「学習問題」は

 「消滅」していくのです。

 学校という場は,いったい何なのか。

 様々な問題は起こす。

 一方で,問題を起こさせないようにと,様々な成長の可能性をつぶしていく。

 
 差別とは何か。

 子どもの権利とは何か。

 
 子どもには目をつむっておいてほしい問題がある,という大人の弱さが,

 今の日本の最大の問題なのかもしれません。


 「視聴率」稼ぎのために,小学生の子役たちが奮闘する芸能界。

 そここそが・・・・。


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コメント

傷つく人が1人,2人いても,かまわない,という見方が今は一般的ですね。

学校の教師は,こういう見方と,それは許せない,という見方との間で板挟みになります。

どちらの側にもつけないという悩みがあります。

校長が強気の学校は,教師も強気になれるのですが,なかなかそういう学校は少ないでしょうね。

日本は差別を特別な権利に置き換え、政治的に利用してきました。これはアメリカも同じです。
一方、中国などは極端な中央集権で、権力にくっつくコバンザメのような社会なのかもしれません。
差別=認知バイアスでありいわゆる偏見をもたらす、原点でもあります。
一方、その現状を知ることも知る必要があり、単純にテレビドラマが差別を作るとするのは、どうかと思います。全ては内容次第ではないでしょうか。
実際に起こっているもんだいなのだから、率直に問題提起して、良い方向に向けて社会が変われるようなないようならいいと思います。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より