許していい人と許してはならない人(学校とネット編)
間もなく始まる新年の学校生活。
小中学校には,アスペルガー症候群など,なかなか集団行動になじめずに,人に迷惑をかけている生徒がいます。
こういう生徒はいじめの対象にもなりやすいのですが,いじめではないにしろ,孤立を促すようなかたちで周囲の生徒が接すると,症状は悪くなっていく一方です。
明らかにそうだとわかる生徒に対しては,機械に詳しいとか,何かの名前を全部覚えているとか,できるだけ良い面を見つけてあげて,その良さを認めてあげる場面を増やしていきましょう。
問題になる行動はきっと減っていき,その長所がどんどん伸びていきます。
「許していい人」として,接してほしいと思います。
一方,「許してはならない人」が,ネット上に存在します。
「ネットいじめ」は,匿名ですまされる問題ではないことを,警察の人たちが約束してくれました。
自分に都合のいいことだけを書いて,人の足を引っ張る人間は,許せません。
社会が許しません。
社会から排除されてしまった経験がある人の場合は,気の毒に思えないわけでもないのですが,
その恨みを人の足を引っ張ることによって晴らそうとしている行為は許せません。
ネット上では自分の支持者がいるように装い(自分で自分のブログに自分を褒めるコメントを書き込むなど),孤立感を埋めようとしているのですが,そういう行為がますます孤立を深め,事情を知っている人が興味本位で読む対象になっているのです。
周期的に同じような話が繰り返されるという典型的な病状ですが,子どもと違い,責任をとらされる対象になります。
「許してはならない人」がどういう末路を迎えるのか。
あのFC2ブログは,「凍結」されてしまいました。
これでは「救いようがない人」になってしまいます。
迷惑をこうむった人を救うには,
嫌でもその原因をつくった「許してはならない人」を救ってあげるしかありません。
そして,こういう人をこそ救えるのが,「本物の教育の話」だという信念があるからこそ,私は教育ブログを続けているのです。
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