ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« どうしても抜けない「添削癖」 | トップページ | 生徒会活動の「始まり」は「終わりの始まり」でもある »

「第三者」がいることの重要性

 読書編に示した『「分ける」こと「わかる」こと』(講談社学術文庫)の教訓

 ~分類をつくる際には,必ず,「その他」や「雑」の項目をおいておくことが有用である

 について,歴史的な内容を補足しておきたい。

>近代の科学は中世の(ママ)確立された学問,つまり法学・医学・神学とは別のところ,つまり自由七科のなかから,しかも七科とは別のものとして発生した。

 中国の古典の事例も示されている。

 今の世の中には…特にブログの世界の住人には,

 「自分と同意見でないものはすべて敵だ」というスタンスを露骨にとる人がいる。

 本の中ではスターリンが事例として挙げられている。

 ここに,「第三者」が入る余地があれば,歴史は変わっていたはずである。

 日本の対外関係史を二国間だけの問題で捉えるのではなく,

 「第三者」の力の有無で考えてみるのも面白いかもしれない。

 日露戦争のときのイギリスやアメリカを分析をする見方である。

 教員が何か研究をするときも,「第三者」の存在は有効的だと思われる。

 ある指導法に「賛成」「反対」と分かれている場に,

 「両方とも反対」という立場や,「両方ともたいして違いはない」と考える立場が登場してくると,

 無駄な議論をせずに全く新しいものができるようになるかもしれない。

 こういう点では,小中連携事業に,高校や大学の先生が入ってくること,

 教科が異なる人に意見を聞くことも,意義があるだろう。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ  

« どうしても抜けない「添削癖」 | トップページ | 生徒会活動の「始まり」は「終わりの始まり」でもある »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

歴史学習」カテゴリの記事

社会科」カテゴリの記事

「ゆとり教育」」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「第三者」がいることの重要性:

« どうしても抜けない「添削癖」 | トップページ | 生徒会活動の「始まり」は「終わりの始まり」でもある »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より