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「思考体力」を失った人の書く文章

 読書編で取り上げた本に関連のある話題です。

 「思考体力を失った人」は,おそらく「思考体力」という言葉そのものに拒否反応を示してしまうでしょう。

 別に,「年をとった人」に限った話ではありませんが,

 「聞きなれない言葉」

 「聞きなれている言葉だが,自分の知っている使われ方と異なる方法で使われているもの」

 に不快感・違和感を覚える人は,要するに
 
 思考の柔軟性を失った人間です。

 思考体力を失った人には様々な問題があって,

 一つは

 「そんな言葉の使い方は許せない」

 として思考停止してしまう場合,

 他には

 「その言葉には確かな定義がない」

 として思考停止してしまう場合。

 「その言葉の意味が分からない」

 として思考停止してしまう場合。

 共通点は,「考えるのをやめてしまう」ことにあります。

 学校の教師にも,

 「学力って何だ?」と法律も学習指導要領も教育書も開こうとせず,

 「勝手なことを言うな」と開き直る人間もいれば,

 「言語活動の充実って何?」と「意味がわからないので何もできない」と開き直る人もいる。

 調べればすぐに分かるところに書いてあるのに。

 つまり,「やる気がない」=「自己駆動力がない」ことも問題なんですね。

 自己駆動力がない。

 思考の段階を駆け上がるような力がない。

 「それで自分はいいのか」と疑う力がない。

 大局観をもてない。

 
 選択肢を増やしていく力がない。

 連想やひらめきを生み出す能力も度胸もない。

 創造性の一かけらも感じられない。


 こういう教員と長く接するのは,特に子どもたちにとっては「危険」なことです。

 ということはつまり,日本の将来にとって「危険」なことです。

 子育ては,大変なんですよ。

 子どもは本当にかわいいけど,

 夜中に起こされる経験を何度かしてみて下さい。

 永遠には続かないことがわかっているから,耐えられるんですけどね。

 ただ,永遠に終わりそうもない世迷言の連続は目障りで仕方がありませんね。


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コメント

学校制度を肯定しちゃう人の文章ってそんなかんじですよね。
思考停止というか脳死しているような・・・

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より