ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「きまり」が自由を保障している社会と「きまり」が自由を制限している社会 | トップページ | 研修の講師が最も喜ぶ褒め言葉とは? »

生々しい人間模様を垂れ流している小学校教師

 昔,生徒や親の愚痴ばかり公開していた「組合の先生」のブログによくコメントをしたものでしたが,異動をきっかけにブログの更新がとまり,職務に専念されるようになったようです。

 今日は,タイトルの餌に引っかかった私が似たようなブログに出会いました。

 学校の具体的な人間模様を,それも,現在進行形のことを,どこまでブログで公開してよいものか,普通の教師なら考えるものでしょうが,ネットの世界は常識の歯止めが緩くなる場のようで,管理職の一挙手一投足に至るまで克明に出しているのがありますね。

 話を読むと,やはり小学校というのは,個人商店が集まっている商店街のようなもので,校長はそこの住民の商店会長ではなく,どうせすぐにいなくなる「よそ者」「面倒くさい存在」として描かれているのがわかります。

 教師自身も似たような存在なのに,2~3年もすると10年くらいずっといるような雰囲気を出す人っていますよね。「地域を背負っている」というしっかりした自覚をもたれているものと解釈することにしていますが。

 小学校という職場は,若い先生が増えているのと,小規模化しているために「独自の風習」がきちんと伝わるルートができていないので,情報を握っている一部のわかったようなのが困っている先生を横目で見ながらせせら笑っている空気まで記事からよく伝わってきます。

 そのような学校情報を垂れ流すことは,私は決して悪いこととは思いません。生徒の個人情報に関するようなことでなければ。研究指定を受けるかどうか,なんていうのを会議で図っているような学校ですから,情報の管理など行き届いているわけがありません。今,こんな古いタイプの学校は少なくなっています。経営者が経営者らしい仕事ができないのは学校くらいなものでしょう。

 小学校の実態がオープンになって初めて,いじめにしろ,学力低下にしろ,危機感が直に親に伝わるようになるからです。できたら,いじめに対する教師の対応の仕方まで,どんどん公開してほしいですね。

 問題が起こって裁判になったときに,いい参考資料となるでしょう。

 ただ,あまりにも生々しい情報を流す人間がいるということがわかったら,教師たちにとっては愉快なことではないでしょうね。

 嘲笑の対象になっている管理職やら同僚やらは,ネットに非常にうといことを知っているのか,「読まれる心配がない」「自分が書いているとバレることは絶対にない」という安心感も伝わってくるのですが,もし本当にばれたとしたら,そのあとどういう態度でその学校に居続けられるのでしょう?

 どこかのアンケートで「空気を読まない県民」のベスト1に大阪,ベスト2に東京が選ばれていますが,こういう都市の学校の教師ならではの「ネット生活」があるのでしょう。

 完全に子どもをバカにしているタイトルなので以前にも何か書いた記憶がありますが,小学校は本当に学級王国の閉鎖空間が延々と続いているし,公立なら何かもめたら簡単に異動もできるので,理性のブレーキが非常にかかりにくい「業種の人たち」であることもよくわかります。

 どうでもいい話が長くなってしまいましたが,私が言いたいことは次のことだけです。

 そこに描かれている学校の教師たちの動きは,私が見聞きしてきた範囲で言えば,相当に「時代遅れ」です。

 同じように,30年くらい前で完全に時間が止まってしまったような人の記事をよく見かけますが,学校は,変わらないといけません。

 学級会のようなことを職員会議でやっている時代は終わりました。

 「時間がない」と言い訳する前に,無駄な時間を省いていくべきでしょう。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ

« 「きまり」が自由を保障している社会と「きまり」が自由を制限している社会 | トップページ | 研修の講師が最も喜ぶ褒め言葉とは? »

ブログネタ」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

学校評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教育」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

コメント

ネーミングが完全に大人目線であるところが残念ですが,とても微笑ましくあります。
小学校なのに活動で子どもの笑顔が見られないというところを見たことがないので,それ自体を目標にしている小学校があるというのは驚きでした。

最近ではスマイルタイムと呼ばれる新しい学習方法が取り入れられるようになったようですね。全国的に展開が進めばよいのですが。
http://info.miwa1.net/smiletime/

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92794/58992115

この記事へのトラックバック一覧です: 生々しい人間模様を垂れ流している小学校教師:

« 「きまり」が自由を保障している社会と「きまり」が自由を制限している社会 | トップページ | 研修の講師が最も喜ぶ褒め言葉とは? »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より