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高校で日本史を必修にしても・・・

 英語教育にしろ何にしろ,

 政策で日本史を必修にしたところで,

 ねらい通りの成果が簡単に出るわけではない理由を,このブログでは再三に渡って書いている。

 「日本史軽視」の風潮は,「国際化への対応」から

 世界史を必修にしたことだけが背景になっているわけではない。

 世界史は西洋史中心とはいえ,とにかく窓口が広い。

 一方の日本史は,奥行きが深く,高度な教養も必要とされる。

 大学ではそもそも地理を専攻にしている人が少ない。

 高校地理歴史科の地理だけでなく,日本史や世界史を不安なく指導できる人は決して多くはないだろう。

 大学で専門的に学ぶのは,高校では学習しないような特殊なことを対象にしていることも多いはずである。

 前にも書いたが,ある大学生が「知識がないと(社会科の教師になるのは)きついですかね」と質問してきた。

 「知識のあるなし」は程度にもよるが,やはり「教科書程度の知識」で教えるのはきついだろう。

 高校での教育を,あえて大学への進学を見すえたものと,そうでないものとに分けるとするなら,両方のニーズを満たさなければならないというつらさもある。

 しかし,教師として大事なのは,教師自身がどのような「学び方」を体得し,それを生徒の学力の水準に合わせながら,「学ぶことの意義」が伝えられるように指導することである。これは最低限のこと。

 教師の専門性が高くなければ,日本史の授業などただの暗記でしかなくなる。

 ひたすらプリントの穴埋めをさせられる結果になるだろう。

 学習指導要領解説では,「歴史的な考察」の基本をきちんと示しているが,

 以下のような課題意識をしっかりもって,焦点をしぼり,それなりの論述ができるようになる高校生はどの程度いるのだろうか。
 
 *導入で生徒に自覚させる学習課題の例

 ① どういうことか(事象の意味・内容)

 ② いつから・どのようにしてそうなったのか(事象の起点・推移の過程)

 ③ 何・だれがそうしたのか(事象の主体)

 ④ なぜそうなったのか(事象の背景,事象間の因果関係)

 ⑤ 本当にそうだったのか・何によって分かるのか(事象の信憑性,論拠)

 ⑥ 他の地域や時代とどういう違いがあるのか(事象の特殊性・普遍性)


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コメント

日本史という科目に昭和史が除外されている点を忘れてはいけないのでは?

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より