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「きまり」が自由を保障している社会と「きまり」が自由を制限している社会

 学校が封建社会のようにみえるとしたら,

 封建社会の「良さ」と「課題」を知る上で重要な鍵になるかもしれません。

 自分たちのことを自分たちに決めさせるタイミングをどこにおくか。

 明治維新のころに奮闘していた人々は,

 「理想とする社会」を実現するより先にすることがあった。

 だからその政策は多くの人々を不平不満をかいましたが,

 では人々との要求をのんでいたら,どういうことがおこったのか。

 「きまり」と「自由」あるいは「秩序」との関係を考える上で,

 小学生でもわかるお話を一つ。

 信号機が故障したら,自動車は道路を自由にすいすい走り回ることができますか?

 信号機が故障したら,いつでもどんなときでも,歩行者は道路を自由に渡ることができますか?

 「きまり」は社会の秩序を生み,人々が目的のために行動しやすい空間をつくります。

 「きまり」が「自由を制限する」というのは,

 そういう「きまり」をつくろうとする人間の心の声であって,

 私たちの「自由」は,「きまり」で保障されている社会であることを忘れてはなりません。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より