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ドラマ『明日ママ』の存続条件

 児童養護施設や子どもたちへの偏見の発生や助長を防ぐために,テレビ局はどのような責任を果たすべきだろうか。

 ドラマの内容については,

 「そんなことは今はあり得ない」とか,

 「実際に起こっている面もある」とか,

 様々な意見が寄せられている。

 放映中止の要請が出されるまでになっていることをふまえれば,

 「最後まで見てから感想を」などと悠長なことは言っていられないだろう。

 「視聴していてつらい」という声に,「じゃあ,見るな」などと言えないことは,子どもでもわかるだろう。

 ドラマにお決まりの

 「この物語はフィクションで,実在の~には関係ありません」なんて言葉を出しても,

 実際に児童養護施設はあるし,

 実際に「ありそう」な場面がたくさん出てくるということで,

 懸念される悪影響は「絶対に起こらない」とは言えないはずである。

 「いじめ方」を知った子どもが,その通りにだれかをいじめることは十分にあり得る。

 すでにそのような被害が学校で発生していても不思議ではない。

 ドラマ存続の条件を,私なりに提案すると,以下の通りになる。

 ********

 このドラマに登場する人物の会話や行動の中には,現在の児童養護施設では起こりえないものがたくさん含まれています。これは,物語に登場する子どもたちへの愛情を持ってもらったり,それを高めてもらったりするための演出であり,制作側の恣意的なものであることをお断りいたします。

 ですから,児童養護施設の職員や,子どもたちがこのドラマのとおりであるとは決して思わないでください。

 このドラマのテーマは,「・・・・」です。

 この「・・・・」というテーマについて,視聴者の皆さんに考えていただいたり,感じ取っていただいたりしたいというのが制作者の願いです。

 放映反対の声もありますが,ぜひ最後まで,この物語を「・・・・」というテーマのもので,ご覧いただければと思います。

 ********

 このような内容を,主演の役者に語らせてから,番組を始めてもらいたい。

 しらけた感じになったとしても,そういうメッセージを伝えてほしいと思う。


 それにしても,社会的に弱い立場の人たちを「悪役」にいたぶるだけいたぶらせて,

 そういう逆境に負けずにがんばる人間の素晴らしさを訴えるようなやり方は,

 「上等な啓発行為」とは言い難い。


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コメント

番組を見ていないので何とも言えませんが、良い面だけ見せてという今風の考え方にはちょっと賛成できないな、と思います。
一度「凍り付いた瞳」という本を見てみてください。おそらくこの内容は放送不可だと思いますが、現実の恐ろしさ、残酷さを表現しています。フィンクションではないことが余計に哀しく、つらい物語になっています。

学校で教えることは表面がきれいなことだけ、英語教育を考えると顕著です。
学校では「sun of bitch」は絶対に教えないし、そういう表現が出てくる教材も扱わないです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より