教育界への「信頼」の糸を断ち続けている教師・教育関係者たち
教育界が信頼されない理由の一つが,分かっていない人間が平気で分かったようなことを言うことにあります。
教育現場から離れてしまうと,日々,子どもと向き合えないということが,最大の「退化」原因になってしまいます。
現場経験のない大学の先生の中には,
理論でうまくいくと思うなら,そのとおり,自分でやってみろ!
と言われて,ごくまれにチャレンジする勇気のある人もいるのですが,
1度くらいは切り抜けても,そもそも仕事のかけもちができるわけもなく,理由をつけて逃げ出してしまう。
「教育学はエセ学問だ」と考える「実践家」が多いのも無理もないことなのです。
日々,子どもたちと向き合っている人間だから言えることと,
「それ」を言ってはいけないと判断できることがあるのです。
教育現場で,本当に「お荷物」だったことが分かってしまう人がいる。
子どもが「反発」するのは,ちゃんと理由があるのです。
「指導力のある人」が「反発」されず,「指導力のない人」が「反発」のターゲットになっている例は,どの人でも経験から思い浮かべることができるでしょう。
「指導力のある人」から学ぼうとする意欲のない人は,「指導力って何のことだ」ととぼけて,自分と相手の何が違っているかをまともに考えようとしない傾向があります。
「自己評価能力」の欠如というのは,人から信用されない原因の一つであることに気づけない。
近年,授業の展開はともかく,
長いスパンで考えるべき子どもの指導を単線系のモデルで考える人はいません。
スパイラルがモデルとして使われますが,
それも分かったようで分からない。
学習に「終わり」はありません。
「始まり」は,いつでも訪れます。
子どもたちはもちろん,教師たちにも,問い続ける態度が必要です。
「教育的ナントカ」と訳が分かっているようなことを書いても,
結局,自分が手抜きをするための口実にすぎないことがわかってしまう。
失敗したら,子どものせいにする。
こういう苦い思いを経験したことがある大人世代の人もたくさんいるはずです。
教師の中で,生徒に心から信頼されている人は,実質的にどのくらいいるのでしょうか。
親にも相談できないことを子どもから相談される教師はどのくらいいるでしょうか。
子どもはいずれ自立しなければなりません。
が,そのためには,頼るべきときに頼るべき人が近くにいることは大切です。
教師は,自立しなければなりません。
自分を頼りに教育できる,そんな教師でありたいものです。
社会科は,未来の社会をよりよく生き,よりよく変えていってくれる人を育てたいのです。
しかし,その社会科も学ぶ学校の教師が,社会科で学ぶべき姿とかけ離れた状態であることはおかしい。
今日も見たくもないニュースを目にすることになってしまいました。
実名を挙げられた教師にも,親がいたり,子どもがいたり,配偶者がいたりするわけです。
本人以外が背負っていくものの重さは,はかりしれません。
被害者も同じです。被害者にも,親がいる。将来は,被害者も親となる。
とても悲しい現実です。
« 謙虚な人間と謙虚でない人間の違い | トップページ | 小学校の社会科,もう少し「伸び伸び」できないか? »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「ニュースより」カテゴリの記事
- 止まらないビールの需要減(2018.12.30)
- 五輪ボランティアの数字を見て(2018.12.27)
- 南青山に似た環境の公立学校は,頑張った。(2018.12.23)
- 愛校心によって大切なものを失った経験から(2018.12.16)
「教育改革」カテゴリの記事
- 改正教育基本法第16条の問題点(2018.12.28)
- 今,手を抜いていると,公教育の民営化が本格化したとき,・・・(2018.11.24)
- 国後島で考えたこと~日本の教育(2018.10.02)
- 都合の悪いことに目を向けさせなくする教育(2018.09.08)
「ブログネタ」カテゴリの記事
- 「大人になったら教師はいなくなる」は大間違い(2017.11.27)
- 歴史用語半減による「ゆとり」が生むもの(2017.11.19)
- 「功を焦る子ども」に成長が阻害される「弱者たち」(2017.09.26)
「教職教育」カテゴリの記事
- 「総合的な学習の時間」の指導ができるように教育できるのはだれか(2019.11.24)
- 生徒との対話の中から自然に目標達成へのルートをつくる(2018.12.26)
- 私でなくてもいい,私ではない方がいい(2018.12.14)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
「仕事術」カテゴリの記事
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
- 準備体操なしで全力疾走させるような授業はアウト(2017.11.26)
- 歴史用語半減による「ゆとり」が生むもの(2017.11.19)
- 教師の成長力を奪う力(2017.11.19)
- 成長をとめないために(2017.11.18)
「教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事
- 遠慮しないで情報を提供しろ!~いじめを見逃す環境との戦い(2018.12.29)
- 偶然の重なりと緻密な演出~インスタレーションから受けた刺激(2018.12.22)
- 子どもから有能感を奪い取る方法(2018.11.25)
- 量より質が大事なものと,質より量が大事なものとは?(2018.04.23)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
「教育実習」カテゴリの記事
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
- 鉄道トラブルと学校教育の劣化の共通点(2017.12.23)
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
「教員の評価」カテゴリの記事
- 私でなくてもいい,私ではない方がいい(2018.12.14)
- ペーパーテストだけで「評価」ができる「教科」はない(2018.05.26)
- 子どもの人間関係に対する不感症の影響力(2018.03.28)
- 自分のダメさを完全に棚上げできる才能の伝授(2017.12.29)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
「教員研修」カテゴリの記事
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
- 鉄道トラブルと学校教育の劣化の共通点(2017.12.23)
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント