「フィクション」によってズタズタにされる子どもたち
台本の内容が,完全に「大人の作文」であることがよくわかるドラマがある。
子どもが台詞を覚えてしゃべっているが,それを当たり前の言葉のように思ってしまっていくのが,職業人としての子どもの悲劇である。
フィクションなら許される,なんて話が通用すると思っている人がいる。
いじめをしている子どもが,「本気じゃなかった」「そのつもりじゃなかった」といって
「許されて当然」という姿勢でふんぞりかえっているのは,そういう社会で育てられたからだろう。
「抗議は織り込み済み」なんて態度で教師の指導を受け入れない「子ども」が生まれてくるかもしれない。
研究授業,公開授業でしか,普通は他校の先生の授業を参観できない。
そういうとき,多くのケースで,「フィクション」に出会う。
つくりものの世界が広がっている,という感覚に襲われる。
授業研究を,ひたすら教師目線で研究する人たちがいる。
その真逆で,ひたすら子ども目線で研究する人たちがいる。
両方とも,フィクションである。
実態をつかんでいそうで,全くの的外れの議論になることがあるのは,
それがフィクションに基づいた話だからである。
そのうち,教師の目線を実際の映像で追いながら=生徒を見ながらの授業研究が,はやりだすだろう。
フィクションから脱出するための方法の一つである。
しかし,授業は,教師と子ども,子どもと子どもとの間でつくられるものである。
・・・・そもそも,学校での子どもの姿はフィクションにすぎない,という面もある。
だから,それを前提とした研究でよいのではという考えもあろう。
しかし,「偽物」をすぐに見分ける教師たちにとって,
フィクションをフィクションのままでおくことは使命感が許してくれない。
子どもに「演技をさせない」真剣さが教師には求められている。
私も,「この演技はくさいな」と自分で思いながら生徒に話をすることがあるが,
すでにそういう自分には,指導をする資格はないなと思い始めている。
教育は,フィクションであってはならない。
わかったようなことばかりが書いてある雑誌に目を通さなければならないのがつらい。
「嘘つき」とまでは言わないが,40人中,5人や6人くらいがまともな反応をするような授業のどこが
「すばらしい」のか?
34~35人にとっての授業は何だったのか?
ドラマのなかの話だけではない。
子どもたちはフィクションによってズタズタにされている。
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