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« 小中高一貫校の理数教育で,「受験学力」を追い抜くことは可能か? | トップページ | 発表中心の「言語活動」よりも「考える活動」の充実を! »

危なすぎて読めないブログ

 このブログには,「指導主事」というキーワードを通して訪問される方がときどきいらっしゃいます。

 「指導主事」がそもそも何者なのか,知ろうとする方,

 「指導主事」になりたいと思っている方,

 さまざまだと思いますが,

 きっと,現役の「指導主事」の方は見ることはないでしょうね。

 そもそも職場ではこんな危ないブログを開くことはできないでしょうし,

 家に帰ってパソコンを開く時間などないでしょうし。

 通勤時間にスマホでご覧いただく方法があるかもしれませんが・・・。

 「指導主事」の仕事は基本的に,先輩のやっている通りにやることが要求されるから,

 法律や答申のダイジェストなどは役に立つかもしれませんが,

 どこのだれが書いたか分からないようなものを参照するような脳は停止しているでしょう。

 新しいことを考えて試してみる,なんていう,現場の時代に経験できたことは

 指導主事になるといっさいなくなります。

 時間に縛られ,法律に縛られ,「教育委員会としての見解」に縛られ,

 過去の人がつくった文章に縛られる。

 「ここがこういう意味でおかしい」という文章を発見しても,直せない。

 発見しなかったことにしなければならない。

 ・・・・・・

 もし,こういう指導主事などいらない,もっと,学校現場のためになることだけを考えてくれれば,それでいい,

 なんていう方針が橋下市長にあるのなら,

 あるいは,他の教育委員会から,優秀な指導主事を引き抜いてくることが可能かもしれませんね。

 前回の記事を書いた後にすぐ思いついたのが,

 最低限の法律と市長の方針にさえ沿っていたら,何をしてもいい,

 という裁量を与えた上での「指導主事」を公募して任用するなら,

 全国の優秀な指導主事の中から引き抜いてくる方がいいのでは?と・・・。

 きっと,「やりたくてもできない」ことを山ほどかかえている指導主事は,何百人単位でいると思いますから・・・。

 そもそもこんな記事でも人の目にふれないと何の意味もないのですけどもね・・・。

 
 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より