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ちゃりこ父さんからの大切な言葉

 「子どもに向き合っている教員などいない」という言葉は,重く受け止める必要があるでしょう。

 多くの教師たちは,反論したくなると思います。

 たとえば,最初につとめていた大規模な中学校の学年会(同じ学年の担任の会議)では,不登校の生徒について,1週間の生活の様子などを話して終わるのに2時間かかることはざらでした。当時は不登校の原因はいじめではなく,小学校からずっと通っていないとか,怠学などの方がたくさんありました。

 生徒の情報交換やそれに対する質疑応答が終わってから,学年の行事の計画,生活指導(問題行動)に関する内容,進路に関する内容と会議の議題が続きますから,夜の7時,8時をまわるということもよくありました。

 不登校の生徒に対して,担任の教師は授業のプリントやノートのコピーをとりまとめて毎日FAXで送ったり,「保健室登校」するときは1時間くらい話をしたり,家庭訪問を行ったりと,「1人だけのため」に多くの時間を使うようになります。


 保護者の側からは,それだけの時間を教師がとってくれることに対して,

 「本来の仕事以外のことなのに,申し訳ない」と口にされることもあります。

 私の想像では,そういう保護者のうち,過去に生活指導などで,子どもが

 「本業でもないことに時間を使わせるな」という言葉を教師から浴びせられたことを知っていたり,

 直接,教師から言われたりした経験がある人がいるのかもしれません。


 もちろん教師の中には,「大人に世話をかけて申し訳なく思いなさい」という意味を込めて,

 「本業ではないこと」と口にする人もいるでしょう。

 ただその言葉の裏にある思いを察する能力がある子どもなら,そもそもそんな問題は起こさないわけです。

 子どもは,「私のためにこのことで時間をとらされることが本当に嫌なんだな」と受け止めてしまう。


 こういう話を子どもから聞けば,親としては

 「教師は子どもに向き合ってくれていない」と思って当然でしょう。

 すべての教師が,心ない言葉を子どもや親に浴びせるわけではありませんし,そういう言葉を実際に口に出す教師の多くは,むしろ子どものことを本当に心配に思っていたりするわけです。

 中学校の教師なら,こういう子どもを成長させることが立派な「教師の本業」なのです。

 ですから,教師は

 「今までは十分に子どもに向き合ってこれなかった」

 ことを毎日の出発点として,子どもに向き合う努力をしなければなりません。

 もちろん,前回の記事で書いたように,時間的な意味よりも,実質的な意味の方が重要です。

 「子どもに向き合う」のは,直接,面と向かって話をする,ということに限りません。

 「時間だけが過ぎていく」という面もなくはないですが,

 「時間が解決する」などと「放置」することなく,

 やはり努力によって解決できる,という信念をもって教育に臨みたいものです。

 少なくとも,「不信の連鎖」から抜け出すことなく,「解決の道」を見いだすことは不可能です。


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コメント

ある小学校では,教師の恣意的な評価によって,子どもの能力が適正に評価されないことが常態化しています。

私から見たら,「教師からの気に入られ度」だけが重要そうに見えるその空間は,小学校の教師たちからは天国のように見えるようで,そのギャップの大きさに閉口するばかりです。

小中の溝の深さを埋める方法は,4・4・4制や4・5・3制への移行にしかないように思えることもあります。

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こういう教師のせいで「自分は頭が悪い」と信じ込まされたまま大人になってしまった人もたくさんいたでしょうね。
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これ、ゴーレム効果と言って検証されています。
因果関係が実験で証明されています。

問題があることを一切認めない元教師の典型をブログで味わうことができますね。

こういう学級に子どもを預けざるを得ない保護者は本当に不幸です。

「担任おろし」の実態を書いても,「自分のせいだ」とは絶対に認めようとしない。

誤解を与えただけでもそれは教師の力不足であるのに,相手に

「国語力がない」とかいって,いいがかりをつける。

子どもは素直だから,こういう教師のせいで「自分は頭が悪い」と信じ込まされたまま大人になってしまった人もたくさんいたでしょうね。

まず、問題があることを認めましょう。このプロセスには、それなりにためらいもあり、もちろん認めたくない事であるから、認めないという状態が長く続いていると思います。(一般的にのお話)
 それ故、学校や教師への不信感が溜まるのです。何事も事実を的確に認知しなければ、悪いことは治りません。ACTという認知行動療法には最初に認めること、Acceptanceを出発点としています。
 別に鬱病でなくてもこのACTの考え方は有用です。
認めたくない事でも事実なら認めること、これをすればいじめはなかったとかそういうおかしないいわけが出てこなくなります。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より