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「学校のきまり(校則)=自由度をせばめるもの」という偏見の由来

 社会科にしろ,道徳にしろ,特別活動にしろ,

 活動の「主体性」「自主性」「自律性」の大切さを学べないものはありません。

 総合的な学習の時間は言うまでもなく,他教科でも同様です。

 「法教育」という言葉やその教育上の意義が明確に語られるようになった現在,
 
 「きまり=自由をしばるもの」

 という認識は,あまりにも時代遅れというか,

 封建社会,身分制度のもとでの発想であり,

 そういう認識が残存しているということ自体,

 まだ日本は本当の意味での「民主主義」が浸透していないことがわかります。

 その代表格が学校であり,学校のなかでの教師と教師,教師と子ども,子どもと子どもの人間関係なのです。

 今回は,部活動の話を出すのはやめておきましょう。

 「自由度が高まる」という考え方自体にも問題があるのですが,そのことも今日のところは脇に置いておきます。

 「自分の自由は他人の不自由」という社会の一面が見えていないと,「きまりが多いと・・・」という単純な法意識しかもてないのです。

 日本国憲法が,どのような「きまりごと」なのかも理解していない人は多いでしょう。

 これは,国民が定めた(という形になっている)ものです。

 (→日本国憲法のどこに示されているでしょう?)

 だれに対して,この憲法を尊重し,擁護する義務を負わせているか。

 その対象は,天皇や国務大臣,国会議員,裁判官その他の公務員なのです。

 (→日本国憲法の第何条に示されているでしょう?)

 そういう「きまりごと」がこの国の大前提になっているにもかかわらず,

 「きまり」というと,「上が下をおさえつけるもの」という発想しかできない人がいる。

 あるいは,「自分たちが自分たちをしばるもの」という発想しかできない人がいる。

 だから,そもそもその「きまり」の「決まり方」すら変えようとする発想ができない。

 社会全体が,もし「民主主義」だけを観点として評価すると,「未成熟である」のがその原因です。

 そうではない,大人は子どもより偉いんだから,子どもは大人の言うことに従うのだ,

 そういう儒教的道徳こそがいいのだ,という人間ばかりが,自分たちにとって過ごしやすい世界を過ごしている,

 それが学校という社会の本質に見てくるのでしょう。

 「それぞれの良いところどり」に成功している(成功できる)学校がごくわずかに存在していることだけ,最後に付け加えておきます。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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