ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「点」にこだわる教師は成長できない | トップページ | 「フィクション」によってズタズタにされる子どもたち »

『明日ママ』は文字通りの「問題作」か,「話題作」か?

 第3話の放映を「強行放映」と呼びたい人もいるだろう。

 今回の騒動で,児童養護施設の子どもや職員の方々への理解は,深まるだろうと考えられる。

 きっと,「人間の愛情とは何か」について,深く考えるきっかけになる視聴者も多いと考えられる。

 批判に対して毅然とした態度で臨んだテレビ局の態度や,

 さっとスポンサーから降りた企業の態度に対しても,

 今後,それなりの評価が下されるであろうことはわかる。

 しかし,教育の立場からするとただ一つ許せないのは,

 「子どもを金儲けのために利用する」企業のあり方である。

 ドラマで「里親の庇護欲をそそるように泣け」と強制される子どもと,

 それを演じることを強制されている子どもとでは何が違うのか?

 後者はギャラをもらってやっているからいいのか?

 「金儲け」が悪いわけでは決してない。

 「子どもを利用する」ことが許せないのである。

 「子役のその後」を今は語るつもりはない。

 『明日ママ』の放映によって,どれだけ「実際の被害」が生まれているか,知ることはできないが,

 芸人のコントなどで見られる暴力とは違って,

 「真面目なドラマ」のなかの「真面目な演技」は,子どもに「真面目な心の痛み」を突きつけることになる。

 ある芸人は,予想通りのコメントを発表している。

 「嫌なら見るな」・・・・・・

 ぜひ,番組の冒頭でこのメッセージを流してほしい。

 「嫌なやつは見るな」

 「内容が気に入らないやつは見るな」

 観る人がいなくなる恐怖やプレッシャーと闘っている芸人のつらさはわかるが,

 「何でも反対するやつがいる」といって「面倒くさいクレーマー」扱いすることに慣れてしまうと,

 今の荒れた学校をさらに荒れた状態にしている教師たちと同じレベルになってしまう。

 いつか,本当に社会から見捨てられる人間,学校になってみないと,

 何が問題になっているかがわからないまま「去る」ことになってしまうだろう。

 
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ

« 「点」にこだわる教師は成長できない | トップページ | 「フィクション」によってズタズタにされる子どもたち »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

社会科」カテゴリの記事

いじめ問題」カテゴリの記事

学校評価」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『明日ママ』は文字通りの「問題作」か,「話題作」か?:

« 「点」にこだわる教師は成長できない | トップページ | 「フィクション」によってズタズタにされる子どもたち »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より