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« 小学校社会科学習指導要領補説=昭和23年 に示された「社会科の内容」 | トップページ | 教師の「個」の力に依拠する小学校の教育モデルの終焉 »

なぜ「小学校のときにいい子だったのに,中学生になるとダメになる」のか?

 小学校の教師にとって,教える子どもの人数が少ない分,その子どもたちがどのような進路をたどっているか,どんな成長をとげているかを実際に知ることは難しくない。
 
 そうやって情報を探すと,ときどき残念な様子,予想外の状況を知ることが少なくないようである。(もちろんその逆も大いにある)

 露骨に中学校とかその教師たちのせいにしたがる人は少数派だろうが,

 「なぜそんなことになってしまったのか」,家庭環境というファクターに影響されない子どもの場合,どうしても納得できない問題のようだ。わざわざ中学校の方に問い合わせてくれる人は少ない。
 
 中学校の教師と違い,小学校の教師は,20年勤務して毎年必ず40人学級の担任をしていても,最大でのべ800人の子どもにしか教えられない。

 だから,それぞれの子どものことは,だれよりもよく知っている,という自負もあるだろう。

 (しかし,中学受験のための学習をしている小学生の学力レベルがどの程度なのか,小学校の授業ではほとんどうかがい知ることはできないだろう)

 中学校の教師の場合,「学級担任」なら状況は同じだが,教科指導,部活動,生徒会活動,学校行事などで,担任以外の多くの生徒もよく知ることができるようになる。

 人数が多いから,個々の様子があまり分かっていないかと言うと,そうでもない。

 教科の担任なら,私は約20年間,毎年400人を対象に教えてきたので,これまでだけでも,のべ8000人である。学年主任や進路指導主任をしていたことや学年で成績処理を担当していたことが多かったので,学力面は担当する社会科以外のものもだいたいわかっていた。

 8000人分の成長をすべて頭に入れているわけではないが,「よくある話」がある。

 小学生のころ,とても輝いていたらしい(勉強もできていた)生徒が,中学校では伸び悩んでしまうことが少なくないのは確かである。

 その原因に心当たりがない小学校の教師も,少なくない。

 しかし,実は特別な理由があって伸び悩んでいるわけではない。

 主な理由は,「活用力・応用力がない」ことによる。

 中には,単純な四則計算すらできない子どもや,人の話を聞けない子どもに高い評価をつけてくる小学校の教師がいる。

 何でも,「目の付け所がいい」「授業に積極的である」ことがその理由らしい。

 しかし,さすがに計算ができなかったり,人の話が聞けなかったりすると,中学校ではすぐに挫折する・・・というか,前に進めなくなる。

 小学校時代に特定の子どもが「輝く」のは,たいてい,他の子どものレベルが低いからか,単純に教師がその子どものことを「気に入っている」から,という場合もある。ある口の悪い生徒は,担任はその子ではなく,その子のお母さんが「気に入っていた」らしい,などと言ってくる。

 これ以上わかりやすいものはない。「ひいき」の目が実態を曇らせてしまっているのである。

 話をもとに戻すと,「活用力」「応用力」があるかどうかは,たとえば全国学力調査のB問題の結果でうかがい知ることができる。

 これができない生徒が中学校の学習で「輝く」ことはなかなか難しい。

 もちろん,暗記だけですんでしまうような授業しかできない学校は別の話である。

 さて,もう一つ,「中学校でダメになる」生徒の共通点は,

 小学校の担任教師への依存心がとても強かったか,

 「担任は自分のために何でも言うことをきいてくれる」という信念のもとでわがまま放題生きてきたか,のどちらかである。

 実は私にも「担任の先生に褒めてもらいたい」一心で,一生懸命に家庭学習ノートを書いていた,という

 「前科」がある。小学校1年生のときの話。

 1日に1冊ノートを字で埋めてしまう。全部のページに担任は○をつけて返してくれる。

 励ましのコメントも入っている。それがうれしいから,という理由だけで,よく勉強していた。

 中学校では,テストが終わった後に,解き直しを行い,さらに,「このレベルの問題が出ていたら解けたかどうか危うかった」類題を問題集から写し取り,解法を複数考えて,ノートに書いて,提出した。

 先生の驚く顔が見たくて,そんなノートを作っていたのである。

 「どうせなら,テスト前にやれよ」

 という話だが,私なりの言い訳は,「テスト前は他の教科の準備で忙しくて無理だから」というもの。

 つまり,本当はやりたかったのに,時間がなくてできなかったから,あとでやった,ということ。

 実際,力はついたと思うが,本当の勉強のおもしろさに気づいたわけではなかった。

 それに気づいたのは高校生になってからである。

 どうしてそういう後悔が強いかというと,たとえば中学生のときに学んでいた社会科も,実はとてもおもしろく学べた教科だったはずだ,ということに後で気づいたからである。

 小学校の教師は,中学生でどうだった,ということにこだわる必要はない。

 高校生や大学生,社会人になったあとで,自分が教えたことの意味を生徒が語ってくれるのであれば。

 そもそも中学校3年間の子どもは,他の時期と比べると「激動」そのものである。

 勉強でもスランプに陥ることがあっても,いつの間にかよくできるようになっていたりもする。

 ある時期はとんでもなく落ち込んでいても,いつの間にか,ふっきれて生き生きしてくる子どももいる。

 要は,「自己教育力」のあるなしが重要なのである。

 いつでも教師の力で何とかする,とは考えない方がよい。教師は,成長する環境を整えるのが仕事である。

 意見がたくさんでるのがいい,とかいうのが信念で,他の子どもの発表にしっかり耳を傾けることをせず,ひたすら自分の考えだけを発表しまくるクラスを見たことがある。

 こういう学級・・・本なんかを書いている有名な小学校教師の学級・・・の子どもに限って,中学校ではまるで力がつかなかったりする。

 ただの奴隷生活に慣れていた人間がいきなり自由の世界に投げ出されても,それは戸惑うばかりであろう。

 小中連携とかいっても,小学生が中学生になってどうなった,などという近視眼的な見方ではなく,

 9年間で将来のためのこういう力をつけさせたい,という大きな目標をもって教育をすべきである。

 もちろん評価は行う。常にそれは形成的評価でよいのである。

 「中学生でダメになった子どもほど,その後の成長が著しい」なんてことが言えれば,少しは安心してくれるだろうか。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「歴史の活力」より
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    「晏子」(第四巻)より
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  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より