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事実は変わらないが,意味は変わる

 日清戦争は,1894年7月から1895年3月にかけて行われた戦争です。

 中学校の歴史の教科書でも,その背景と原因,戦争の経過,結果や影響は,おおむね分かります。

 高校の教科書で学べば,朝鮮で起こった壬午事変や甲申事変,天津条約締結後にしばらく「平和」な状況が続いたこと,賠償金をもとに金本位制が採用できたことなども知ることができます。

 そこで改めて,

 「日清戦争とはどのような戦争だったのか」

 という問いに対して,いくつくらいの答えが用意できるでしょうか。

 当時の人々の言葉からも,この戦争には「意味」が与えられていたことが分かります。

 福沢諭吉は,「文野(文明と野蛮)の戦争」と読んでいます。

 内村鑑三は,『Justification of the Corean War』というタイトルで論文を発表し,

 「日本は東洋に於ける進歩主義の戦士なり」と表現しています。

 田中正造は,戦争中,「文明の名誉は全世界に揚(あが)れり」と年賀状に書いています。

 日露戦争では反戦,非戦の立場になった人たちでも,

 肯定の側にまわっていたのが,日清戦争だったのです。

 これらは,当時の人々にとっての,そのとき感じていた「意味」です。

 歴史学習は,その「意味」を改めて考えることによって,

 「失敗の本質」にせまることができる,

 「失敗の本質」にせまろうとする態度を育成することができる,

 そういう学習です。

 さらに,その「意味」・・・「解釈」と言ってもいいかもしれませんが・・・は,

 変化します。

 中学校時代に考えることができた「意味」,

 高校時代になって考えることができた「意味」,
 
 そして,大人になって,日清戦争をふり返って考えることができる「意味」には,

 それぞれ大きなレベルの違いがあるでしょう。

 そこに自らの成長を感じたり,あるいは自分自身の未熟だった点を自覚したり,失敗したことの原因に気づいたりするチャンスがあるのです。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より