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ビジネス英語で変わる教育への姿勢~その5 CHALLENGE~

 学校現場で何か新しい取り組みを始めようとすると,

 「安月給の上に給料は増えないのに,なぜ仕事を増やすようなことをするのか」

 という人がいます。

 そう言う教員に限って,「安月給」どころではなく「給料泥棒」「税金泥棒」みたいなところがあるのは全国共通でしょうし,そもそも一般社会から見ても,教員が安月給なんて,「ふざけんな」の一言なのですが,公務員には

 challenge

 の精神が育ちにくいという現実は確かにあります。

 子どもたちには

 challenge が大事,前向きにいこう,とかいって,自分の方は完全に後ろ向き。

 だから信用はされないし,結果として子どもにも challenge 精神は芽生えない。

 そんな現状を打破しようとするには,

 未来の日本を支える人づくりをしよう,という強力な使命感と責任感,

 そして何よりも challenge する精神が必要です。

 「失敗がこわい」

 「余計なことをして,苦労だけで終わったらいやだ」

 ・・・そんな「言い訳」が,「教育」の世界では通用しないのに,

 自分の仕事にはあてはめてしまう。
 
 つまり,「教育」の仕事につく資質,資格がないような人が,

 大失敗さえしなければ定年まで安心して給料がもらえる,

 そんな「仕組み」自体が足を引っ張っているのが学校現場の問題ということです。


 一応,解決策は模索されています。

 「職務目標」とその成果の報告を,給与に反映する「人事考課」の仕組みは,まだまだ始まったばかりです。

 その「職務目標」は,達成の困難度によって,自分なりにいくつかの段階を設定することができます。

 これを,管理職との面談で,「こうすればもっと容易にできるのではないか」

 「これは~と協力すればいいのではないか」

 などと調整し,実践,評価,という流れが全国に普及するまでは時間がかかるかもしれませんが,

 だれから見ても

 That's a challenge.

と呼んでもらえるような目標を設定し,それを分掌なり学年なり学校全体の努力で達成することができれば,その中心の目標を設定した人がいなければ何も変わらなかったという意味で,成長した子どもたちにとっても,日本の将来にとっても,特別な評価に値することをした教員になれるわけです。

 企業でいえば経営者が,・・・・本来,学校でいえば校長がこのような目標を設定すべきなのですが,

 それをやりきれる力量のある校長はなかなかいません。

 どちらかというと,職場のなかでそれなりの人望がある教員にチャンスがあります。

 そして,学校として取り組むべき issue があるタイミングなら,

 challenge のし甲斐もあるし,成果も出しやすいわけです。

 この目標が,「学力調査B問題の平均点を80点にしよう」だったとします。

 そうすると,「テストのための教育にするのか」という批判が必ずおこるでしょう。

 「テストのための学校なのか」と。

 当たり前ですが,職務目標は,それだけではありません。

 これはあくまでも学習指導の分野における目標です。

 ほかに,生活指導,進路指導,研修や研究などの目標もある。

 それに,たとえば100マス計算や単純ドリルのように,時間さえあれば機械的に

 専門家も必要なくやらせることができるような授業をしていては,

 B問題の高得点は期待できません。

 学級の中の人間関係を豊かにしていかないと,

 協力的に問題解決をする場面がつくりにくく,当然,話し合い活動などができません。

 学力を高めるには,ただひたすらプリントや宿題をやらせればいい,というのは大間違いです。

 子どもが本当に充実感をおぼえるような授業をしていかなければなりません。

 国語だけ,算数や数学の時間だけ,充実していても,だめなのです。

 話が長くなりました。

 前向きな姿勢で,挑戦しようとする意欲を示せる,日本人ならだれでも知っている単語である challenge 。

 × We are facing a big problem.

○ We are facing a big challenge.

 余談ですが,英語の「facing」っていい表現ですね。

 日本語には「目をそらす」「後ろ向き」「顔向けできない」という表現もありますが,

 「直面する」「正対する」「真面目に向き合っている」っているニュアンスが確実に伝わる感じがします。
 


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コメント

英語学習には,実際に「使わない」人,そもそも「使う機会がない」人が非常に多いこと,そのうち,完璧な「翻訳機」が誕生しそうなことなどから,そもそも「教える方」に本気さが足りない,という問題がありそうですね。

単純に試験のためです,なんてことなら,都教委もわざわざ英語の教師を留学させる意味はないわけです。

英語で思うことは、学校教育で失敗を確実に繰り返してきたことではないでしょうか
約10年英語を教えているのに使える人はごく一握り、また逆に英語は出来ても仕事は出来ないと言う人も結構見受けられます。
使えない英語を何故教えるのか、英語の習い始めに必ず教えるのがThis is a pen.実際こんな事言わないです。もしThis is---と言うなら電話を取ったときとかそういうのを全く教えないんです。それとか仮定法過去完了で話すと相手を馬鹿にしたようなニュアンスになるということとか教えないですよね。今までの英語教育は教える側の都合に合わせた役に立たない教育だったわけです。
海外の英語版の映画DVDとか見たら(リージョンを解除しないと再生できない、ブルーレイは米国と同じ区分なのでそのまま再生できる)よくその実際の言葉と学校で教える英語が極端に異なる事がわかりますよ。
どういう場面で使う言葉なのか、そういうことは教えません、ただジョン万次郎の時代の英文法に基づいて変な言葉を教えているのです。
実際、教えている方が英語がわかっていないと言う人多いです。私が子供の頃英語の教師に英検1級の人というのは殆どいませんでした。今はどうなんでしょうか、例えばTOEFUL400点以上という人どれぐらいいるのでしょうか?
安倍総理がTOEFULのお話を教育現場に持ち込もうとしているようですがTOIECはなんとかなってもTOEFULは全くお手上げなんではないでしょうか?

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より