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研究授業や公開授業の参観で自分が教師に向いているか,いないかを確かめる方法

 現職の先生も,これから先生になろうとしている人も,

 自分が教師に向いているかどうかを確かめる方法がある。

 それは,あらかじめ配布されている「指導案」を見ずに授業を参観することである。

 参観後,10分くらいでその授業の「指導案」を予想して書く。

 もちろん,実際の授業は,「指導案」とは異なる展開になる場合もあろうが,

 一応,「指導案」どおりに進んだものと考えて,書いてみる。

 何が今日の授業の「目標」だったのか。

 その「目標」を達成するために,どのような手立てをとったのか。

 中心の「発問」をどこに,なぜ,配置したのか。

 生徒の実態はどのようなものなのか。

 予想される生徒の「反応」はどのようなものだったのか。

 どこで今日の「目標」が達成されたかどうかを判断することができたのか。

 今日の「教材」に対して,あるいは「単元そのもの」について,どのような考えをもって臨んでいたのか。

 そして次の10分で,自分なら,この単元の,この時間の授業をどのように展開したのか。

 この2つを,提出してもらう。

 そうすれば,教科に対する専門性のレベルはだいたいわかるし,

 教師に向いているかどうかもわかる。

 授業を見て,批判するのは簡単なことだが,それはまず,

 自分がこうだと思った「指導案」と,実際の「指導案」をしっかりと比較してからすべきことである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より