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批判的精神を養うためでなければ,「詰め込み歴史教育」は逆効果になる

 高校の日本史必修が実現すれば,「日本人としての主体性」が育つかといえば,そう簡単な話ではあるまい。

 「加害者としての日本人の歴史」を延々と授業で紹介する教師もでてくるだろうから,などという単純な話でもない。

 そっちの方は,教育内容に関する調査が一層重要性を増してしまうという意味で,迷惑というか面倒くさい話に進んでいくだろう。

 大事なのは,「日本人としての主体性」とは何か,という問題や,

 それがどうして求められているのか,という背景にかかわる問題,そして

 そもそも「歴史教育」で大切なことは何か,という問題が,あまり「露骨」に語られる現実がないために,

 多くの高校生たちにとっては,「ただ暗記すべきことが増えるだけ」という結果になり,

 ますます「日本の歴史」が嫌いになる日本人が増えるだろう,というのが私の危惧である。

 理科とか数学とは違って,

 日本史には巨大な「マーケット」がある。

 『週刊 新発見!日本の歴史』のようなシリーズが,年をおかずに発刊されるような国が日本以外にあるだろうか。

 「本当にあなたが書いているのか?」

 と疑われるほど,日本史の本を出している高校の先生もいる。
 
 日本史の授業がつまらなくても,大人になってこういう本に夢中になる人は多い。

 そこには,様々な解釈が躍動し,史実を超えたところに面白さを感じるような「娯楽」の要素もふんだんにある。

 では,高校の日本史の授業に,受験のための暗記を超えたものを要求することは可能だろうか。

 私は残念ながら,そうとは思えない。

 年を重ねていくことで,・・・つまり,社会や人生での経験を積み重ねていく上で,自然と歴史というものへの関心が高まるというのが当然だと思う。

 今,小学校の歴史教育では,人物に焦点をあてて子どもたちに調べさせているが,それが本当に面白いと思えているのかどうか,私には疑問である。

 それよりも,大人社会の矛盾を歴史的事実から暴いていく方が,よほどためになると考えている。

 「残念なことを繰り返さない」ためには,実際に繰り返されてきた「残念なこと」を知る必要がある。

 津波が来ても,「堤防があるから大丈夫だ」という安心感は,本当に「残念なこと」である。

 相手との戦力差があっても,「がんばれば大丈夫だ」という信念は,本当に「愚かなこと」である。

 「日本史を必修にすれば,大丈夫だ」という信念をもっている人はいないだろうが,

 ヘンにそこを刺激すると,とんでもないものが学習指導要領に反映されかねないから,そっとしておく必要があるかもしれない。

 会議に参加するメンバーを見れば先がわかってしまうというのも,「残念なこと」の一つかもしれない。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より