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小学校学習指導要領・社会科編(試案)=昭和22年版 に示された,小1~小6児童への配慮点

 現代でも使えるものがたくさんあります。

 具体的に,どのような「対応」がなされていたのか,知りたいものです。


****************

 【小1児童への留意点

 一 教師・友だち・校舎その他の環境に不慣れのため,不安であること。

 二 友だちを作りたいと望むこと。

 三 友だちに物を貸したり,友だちの物をたいせつにしたり,遊びなどの際,順番を待たなければならなくなること。

 四 学校の規則に従う必要を感じはじめること。

 五 新しい複雑な環境に入ったために,神経質になり,むやみに小便に行きたくなったり,もらしそうになったりすること。

 更にこの学年の児童が身体上の欠陥や,言語上の欠陥,あるいは家庭における教養の欠陥などのために,非常に各個人によって違う問題を持っていることにも,注意しなければならない。


 【小2児童への留意点


 一 第一学年の児童を迎えて,非常に大きくなったような気がし,その世話をしたりまたこれをいじめたりすること。

 二 非常に活動が盛んで,過労に陥りやすく,適当な休息を与えないと,いらいらした気分になる恐れがあること。

 三 他人の所持品とか権利について注意をしはじめること。

 四 女児では,男児よりも社会性の発達が著しくなること。

 五 関心が家庭や学校に限られず近隣の社会にひろがって行くから近所の人たちからも,しっかりした子だとみとめられるように,はからってやる必要があること。

 身体的に欠陥のある児童は,みんなといっしょに行動するのに不自由なことをよけい強く感ずるようになっているし,家庭のよくない児童は,学校外で,はゞのきかないことを感じはじめるから,教師は各児童に固有な問題に十分注意しなければならない。


 【小3児童への留意点

 一 団体的な競技や遊びを好み,負けたり,なかまはずれになったりすると,気持を悪くする傾向があるから,正々堂々とふるまうことを教える必要がある。

 二 団体的活動を意識してするようになるから,どの児童にも,うまく活動ができるように,十分機会を与える必要がある。

三 好奇心が非常におう盛であるから,これを科学的教養の基礎としてやる必要がある。

四 自信の無い子や栄養の悪い子は,姿勢が悪くなる傾きがある。

五 遠足などの際事故を起しやすい

六 歌ったり,物を作ったり,絵を描いたりするのに,自信がなくなり,きらいになる子があらわれる。

七 一,二年の間に養成された知識や能力・態度等を維持する必要がある。


 【小4児童への留意点

一 初等科のちょうどまん中であって,低学年のなかまに入れられるのはきらうし,高学年ともいっしょにはなれないので,むずかしい学年である。泣いたりじだんだをふんで感情をあらわすことはもうできないが,家庭や学校で尊重されないと,反抗的になる。

二 ちょう笑されたりすることは,打たれたりすることより,ずっときらいである。

三 健康的,活動的でやかましい。むしゃむしゃ食べるし,戸の開けたてなども乱暴であり,自分の外見などについても無関心である。

四 男の子と女の子との間に敵対関係があらわれることがある

五 新しいことやおもしろいことを発見するのに興味を持ち,身辺にいろいろなものを集めたり,好んで冒険的なことをしたりする。

六 芸術的な自己表現が,低学年から上手に指導されていて,自由にできると,感情の圧迫を防ぎ,また高しょうなものを理解するのに有効である。

七 みずから計画したり,みずから説明したりすることができるようになり,道理にあわないことをしたり欺いたりすることができない。

八 外見とか行儀とかを構わなくなるから,低学年で養成して来た衛生の習慣やよいしつけが崩れないよう,気をつける必要がある。

 この学年の児童は,卒直に且つまじめな態度で取り扱う教師を信頼する。身体的に欠点のある子,その他個人的に問題のある児童には特に注意する必要がある。


 【小5児童への留意点

一 児童に対する理解が十分でないと,児童と教師との間に,大きなみぞができる。なかまにほめられるために,自己を誇示したりするのが,思春期に入ろうとしている,この学年の児童の特色であることを,忘れないようにする必要がある。

二 創造的な自己表現は,よほど注意しないと止まってしまう。なかまのものと違うことを恐れるし,ちょっとしたことでくじけてしまうからである。しかし自分自身に適した方法で感情の表出をさせるよう鼓舞し,助けることは,感情の緊張を解き,気持を安定させる上に,必要である。

三 身体的の発達が,非常にまちまちである。大人びた子と,子供らしい気分のぬけない子,身長のむやみに高い子と低い子などができて,それぞれひけ目を感じ,からだのことを心配したり秘密にしたりする。

四 女の子は男の子に比し,著しく成熟が速い。

五 身体的な欠陥のある児童や,学習速度のおそい児童等については,特に考慮を払って自信をなくさせないようにする必要がある。

 この学年で特に挙げていなくても,各種の能力(例えば辞書を引くこと)や態度(例えば共同して計画をし実行する態度等)を維持することに留意しなくてはならないことはいうまでもない。


 【小6児童への留意点

 一 成人の社会に独立した位置を占めようとする。すなわち成人が自分の意見を尊重するか,家庭や学校でその役に立つことをしていると思えるか,自分たちのやっていることをまじめに評価してもらえるかというようなことに,気を使うから,どんな時に助力をしてやるか,どんな時にその望みを尊重してやるかなどに,注意する必要がある。

 二 みずから求めて新しい経験をしようとするのを助け,また児童各自のその学習方法を尊重してやることも,(一)と関連してたいせつである。

 三 社会的な義務を理解させ,事実に正直に立ち向かう能力を発展させることは家庭及び学校の共同責任である。自分たちが加わって計画し,価値ありとみとめる仕事を遂行させることは,社会の一員たることを自覚させる上に,特に有効であり,共同作業もまた,民主的なやり方を味あわせる上にも重要である。

 四 創造的な自己表現も,自己の独立性を打ち立てさせるために重要であり,且つ現在のような大量生産の時代に,個人的な良い趣味を発展させる上からもたいせつである。

 五 健康や姿勢,容姿等についても注意の要がある。過食,ねこ背の傾向があらわれるし,皮膚の清潔も大きな問題であり,過労に陥らないように,休憩や気分転換を工夫してやることもたいせつである。
 小学校の最後の学年であるから,十分に自信を与えるとともに,低学年以来獲得して来たよい習慣や態度を,しっかりと身につけさせなければならない。

**************

 今となっては下線部の語句など気になってきますが,それ以外の内容について,今とどのくらい変わったことがあるでしょうか。
 

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より