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小学校社会科学習指導要領補説=昭和23年 に示された「社会科の方法」

 いよいよ序論の最後の一節。

 小学生が,その生活の中で直面する「切実な諸問題」って,いったい何を想定していたのでしょう。

 隣の席の子どもが勝手に鉛筆や消しゴムを使って困る,とか,授業中のおしゃべりをやめない子がいて困るとか,そういうレベルの話ではないことだけは確か。

 社会科を勉強すればするほど,他の教科の必要性を感じる・・・ようにするためには,子どもが直面している問題ではなく,社会が・・・世界の人々が直面している問題をぶつけてあげなければ,自国民優先的「民主主義」レベルでとどまってしまうおそれがあることに気づくべきでしたね。

 もっと早く気づいていれば,水俣病をはじめとする公害病の被害がもっと小さいものに抑えられていたのかもしれないし・・・戦争の惨禍だけを繰り返さなければそれでいいというわけではもちろんなく,公害病の拡大も抑えられなかった社会をつくってしまったことに,社会科の教師だけではなく,このころの教育を受けてきた国民すべてが責任を感じていくべきです。水俣病患者の救済はまだ現在進行形です。

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四、社会科の方法

 建設的な社会生活に参加するために必要な理解や態度や能力を児童たちの身につけさせるには、民主主義に徹底した学習環境の中で、児童たちを実際に生活させるよりほかにしかたがありません。実際に生活しながら、その生活の中で切実な諸問題に直面したときにだけ、児童たちはその自主性を発展させます。したがって社会科では、そのような問題解決の活動を通じて児童の経験を発展させていきます。

 一般に小学校の教育方法の原則は、なすことによって学ぶということであります。教室は児童たちの作業場となり、児童たちは自分たちにとって意味のある各種の活動に参加するのであります。そしてそのような活動を通じて、児童たちは知識・技能や態度や理解を得、現在の環境に適応することができ、さらに社会生活を不断に進歩させ、文化をおしすすめるのに必要な能力を身につけます。この場合児童たちにとって意味のある活動は、これを根本的に考えれば、彼等が生活上直面する問題の解決の過程の中に起ってくるものであります。社会科は、児童に問題解決の活動をいとなませ、その生活経験を発展させていこうとするものでありますから、児童は社会科を勉強すればするほど、他の教科の必要をも感じてきます。そしてまた他の教科で得た知識や技能は、社会科の中で生かされ、さらに反復練習の機会が与えられるわけです。

 以上で、社会科がその方法の上からいって、他の教科とどんな関係にあるかということのあらましを述べたのでありますが、前項であげた社会科学習の系統とも関連して、児童の発達、なかんずく興味の発達に即して、方法上の着眼点を少しく述べておきます。

 児童の能力や興味は発達するものですから、年齢の進むとともに、ますます深い意味をもった概念をつかむことができるようになります。したがって指導方法や用いられる材料も、かれらの能力と必要に応ずるようにかわっていかなくてはなりません。

 一年生は身体的に非常にかっぱつであり、学習はすべての感覚を通して行われます。かれらは事物を視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚等を通じて認識します。遠足にもいかなくてはなりません。物を作ったり、それをごっこ遊びに使ったりしなくてはなりません。注意の持続時間は短いので、学習の動機がたやすくみたされなくてはなりません。微細な筋肉は十分使いこなせないので、仕事は粗雑ですが、自分の作ったものがとにかく使えさえすれば、精巧さがなくても意に介しません。木片がトラックの役目をするし、床の上にかかれた線が車庫にもなります。動くものに非常に興味をもつので、ごっこ遊びをするときには、多く汽車や四輪車やトラックや二輪車や動物などを使います。大きな集団といっしょにうまく仕事をすることはできません。熟練した教師は、それゆえ小さい集団で仕事をする機会を与えます。時間や空間を理解する能力は限られたものですから、ただ身近な社会を、しかも現在あるがままに学ぶに過ぎません。伝染病やちょっとした病気で学校を休みがちです。それゆえ一年生の仕事は、数名の児童が欠席しても、学級のプログラムにたいして支障をきたさないように、また欠席した児童が学校にでるようになったら、容易にグループの中にはいってうまくついていけるように計画されなければなりません。またおとなの生活をごっこ遊びにすることが好きで、自発的にやります。そしてごっこ遊びをしたいために周囲の生活を学びます。

 四年生ぐらいになると、活動的なことを好むことにかわりはありませんが、相当長い時間じっとしていることができるようになります。高度に組織化されたごっこ遊びを行い、なかまやおとなたちの意見にいっそう関心をもつようになります。興味も相当長く持続できます。過去のことや遠くはなれた土地に関して好奇心をもつようになります。またこのころは、一生のうちでもっとも健康な時代ということができるでしょう。教師がこれらの事実を社会科の計画に利用するとすれば、組織化されたごっこ遊びに使うものを作らせ、とくに正確さについて指導すべきです。また児童の学習やごっこ遊びを指導するときは、過去の人々や遠く離れた土地の人々の生活を理解させるようにしなくてはなりません。グループで計画を立てたり、評価したりする機会を多く作らなくてはなりません。出席も規則的になってきますから、全級の者にとって非常に重要な意味をもつ仕事の一部面を各個に分担させることができます。おとなの生活を劇化することを好むことは依然としてかわりがありませんが、いっそう多くの材料を用い、準備により多くの時間をかけます。

 六年生程度になれば、もっともっと集団意識が強くなります。依然として活動を好みますが、より長時間静かに勉強することができます。科学に好奇心をもち、物事の理由をせんさくすることを好みます。高度に組織化された劇的遊戯を好みます。劇化することが好きですが、自己意識的になります。それゆえ劇の準備も非常に周密にやります。人々の生活を劇にするために衣しょうを作ったり、背景をかいたり道具を作ったりするのに、興味が長時間続きます。また発明や機械には非常に興味をもちます。

 このような発達段階を心得ている教師は、教材を広く選択することができ、児童に強い興味と正確な仕事を期待することができます。学習の題材としては前項にあげた経験領域から選ぶのが適当でしょう。

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 これだけ高度なことを要求できる教育ができていたのは,昭和20年までの話だった,ということにならないようにしたいものです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より