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小学校社会科学習指導要領補説=昭和23年 に示された「社会科の内容」

 私が太字にした部分は,私なりに重要だと考えた箇所です。

***********************

(第一章 序説  第二節 小学校の教科課程と社会科より)

二、社会科の内容

 社会科の内容としては、広く人類学・経済学・歴史学・地理学・政治学・社会学等の対象である各種の分野が考えられます。もちろんそれは、たがいに関連しあってより広い領域の一部をなしているものとしてです。それは、このような分野の理解が現代のわれわれの生活にあらわれている社会的な諸問題の解決に役立つからです。社会科の中には、あらゆる人間社会についての知識や思想はもちろん、人間が生活し、活動している自然環境と人間との関係についての知識や思想も含まれているわけです。社会科は人類がどのようにして自然を利用して、人間としての基本的な要求をみたしているかを問題にしており、歴史的に発生してきた慣習や制度を問題にしており、現在人類の直面している諸問題を問題にしているのです。

 社会科はその対象として、きわめて多くの部面をもっています。人類が過去何千年来追求し経験し実験して作り上げてきたものはすべて社会科の内容を選ぶ基盤であります。小学校の児童にむずかしい社会概念を理解させようとすることが適当であるかどうかということは、しばしば問題になります。しかしこのような概念も、児童にわかりやすいようにして与えられれば、児童はそれを実によく理解します。しかも幼少のときにできた態度は、のちのちまでも持続されて、成人した後の全人格を支配することが多いものです。

 たとえば、人と人、あるいは国と国との相互依存の概念などは、複雑な社会概念ではありますが、児童たちは、家庭とか農家とか郷土の生活とかいうような領域について生活し経験するうちに、家族の人々の間の相互依存を理解することができます。また郷土社会の各種の人々の間の相互依存を発見することができます。また都市の人々が農家の作りだすものに依存し、農家の人々が都市の工業に依存して肥料や農具を手にいれることや、わが国がゴムや綿などの商品を他の国に仰ぎ、そのかわりに絹を外国にだしていることなどを知ることができます。そのほか美術や音楽・文学などの作品を交流させることでは、世界中の人々がたがいに依存しあっていることも知ることができましょう。

 しかもそのようにして正しい理解を発展させることによってのみ、児童はやがて世界人類の幸福のために、平和な寛容な世界的協力組織を実現しようとする強い意志をもつに至るでありましょう。この意味において児童の発達程度に応じ得るかぎり幼い時期からこのような理解を適切に導入し、また急速に発達させることは、教師の常に心すべきことといわねばなりません。

 社会科の学習領域は人間の基本的欲求をみたすために人間のいとなむあらゆる社会事象を含んでいます。その基本的欲求についてはいろいろな分類が可能ですが、次のような社会的機能による分類もその一つでありましょう。

一、生命・財産および資源の保護保全

二、生産・分配・消費

三、運輸・通信・交通・交際

四、美的および宗教的欲求の表現

五、教育

六、厚生慰安

七、政治

 世界の歴史のいかなる時期のいかなる社会生活を考えてみても、このような根本的な機能をみたすことが必要でありました。人間の基本的な欲求を満足させる具体的な方法は、いろいろな時代いろいろな環境でそれぞれ異なっていますが、いやしくも満足な社会生活が営まれる場合には、その社会生活の中で以上の各機能がそれぞれの位置を占め、十分な意味をもっていることにはかわりがありません。
 社会科の学習指導要領に示されてある小学校各学年の参考問題は、この主要な社会機能に即しているもので、児童たちに社会生活の各部面を理解させる出発点として役立ちます。この事についてはのちにやや詳しく述べます。

 前にあげた学校教育法第十八条は、小学校教育の目標を示すとともにその教育内容をも示していますが、その内容はすべて社会生活のこれらの機能に関係しています。すなわち新しい小学校教育の諸教科は、児童に、個々の領域に分離したいろいろな知識技能を授けるのではなしに、社会生活という共通の基盤の上に立ち、その各部面の形成に必要な諸種の理解・態度・能力をそれぞれの角度から内容として取り上げます。そして社会科は、社会生活のこれらの諸機能を全面的に学習の領域とするのでありますから、社会科の中に各種の教科の内容がはいってくること、またいろいろな教科の内容を与える際に、どうしても社会科で取り扱う社会の実際生活の問題の研究から出発してくる必要のあることを、考え深い教師たちは十分知っています。

***********************

 社会科にあまり関心のない教師の中には,

 「私は考え深くないというのか」と不満になった人がいたかもしれません。

 私がここで強い関心をもったのは,

 人間の基本的欲求を満たすための社会事象のなかに,「教育」があることです。

 「教育」自体も,実は社会科で扱わなければならない社会事象であることに,どのくらいの人が気づいているのでしょう。

 今の学校制度は,ここに「気づかせない」ための努力は怠らずにやっているかのようです。

 それではいけませんね。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より