おとぼけぶりが半端ない・・・結局は「無視」できなかった理由とは?
教師のなかには,ユーモアのセンスがゼロではないかと思える人がいる。
子どものころは,たいそういじめられてきたのではないかと気の毒になるのですが,
当然,教師になっても「いじめ」の標的になってしまう。
もちろん,子どもからの。
教師も一応社会人だから,もう「気の毒」ではなくて,「自分で何とかしろ」と言いたい。
・・・・でも,今はそういうことも言えないご時世になってしまったようです。
「不登校」になってしまった教師を,その学校の教頭先生と実のお母さんとで何とかなだめ,学校に来させる。
授業はできないが,とりあえず「出勤」させる。
教師まで「教育」の対象になってしまっている学校があるのには驚きました。
ユーモアがどうとか書きながら,全くユーモア感覚のない記事ばかり書いている人が,
ようやくツボを刺激してくれるような「ボケ」ぶりをかましてくれたのが,今日の注目記事でした。
ユーモア感覚はゼロでも,
究極の「ボケ」には笑えるんです。
子どもは,笑われていることに気づけない教師には大喜びでついていく。
「いじめ」には多少の「罪悪感」がつきものですが,その箍を外してくれるほどの「ボケ」ぶりに出会うと,本当の「遊び」に発展していく。
これをお読みの先生方にも,保護者の方にも,そういう先生に出会った経験があるでしょう。
子どもにとっては,とても有用な精神安定剤になる。
ただそれは,非常に貧困なる精神をお持ちの子どもだけに限ります。
本人がいじめられていることに気づかないのをいいことに,
やりたい放題の人間たちへの嫌悪感を抱く子どももいる。
このブログの世界では,そんな人は読者にいないと信じて,
これからも活躍を願うという人もいるでしょう。
しかし,私としては,やっぱり許せない。
周期的に登場する「裁判ネタ」は,本当に行き詰まった時のサイン。
それがいつの間にかケロッとして,また次の「周期」に入っていくことの繰り返し。
ただ今回は,せっかくの「無視」テーマの記事に,
自ら「わざととぼける」という「決定的な証拠」を残してしまった。
それは結局,「無視」できない理由があるからですね。
なんだか今の教育問題の闇が一人に凝縮されているような印象さえある。
追究せざるを得ない「テーマ」です。
« 中高英語教師の海外留学必修化 | トップページ | 中学生にも笑われる文部科学省の貧困な発想 »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「ブログネタ」カテゴリの記事
- 「大人になったら教師はいなくなる」は大間違い(2017.11.27)
- 歴史用語半減による「ゆとり」が生むもの(2017.11.19)
- 「功を焦る子ども」に成長が阻害される「弱者たち」(2017.09.26)
「教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事
- 遠慮しないで情報を提供しろ!~いじめを見逃す環境との戦い(2018.12.29)
- 偶然の重なりと緻密な演出~インスタレーションから受けた刺激(2018.12.22)
- 子どもから有能感を奪い取る方法(2018.11.25)
- 量より質が大事なものと,質より量が大事なものとは?(2018.04.23)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
まったく同じことを読み取りました。
たくさんお伝えしたいことはあります。
とりあえず感謝し続けていることだけ。
こちらはあれをネタに魑魅魍魎の世界。
またご連絡させていただきます。
投稿: 同感です | 2013/11/27 09:06