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あなたは個人攻撃専用の誹謗中傷ブログにコメントを寄せますか?

 I さんのブログを注視して,更新されるとすぐに中傷の記事を載せることを繰り返している人がいる。
 
 中傷しか書かれていないブログというのを私は初めて見た。信じられないことである。

 教育ブログからは追放されたが,まだFC2ブログでは更新が可能になっているようだ。

 こういうブログにコメントを書き込む人も,普通の感覚で言えば,「信じられない」ことである。

 AさんがBさんの悪口を言い続けているとする。

 そのAさんに,Cさんが呼ばれてもいないのに接近して,親しげに会話している。
 
 こういう状況のなかで,Bさんの立場になったらだれでも分かるだろうから,

 「その他の人」の立場で考えてみたとき,Cさんの「おかしさ」が理解できない人はいないだろう。

 このCさんは,Bさんが批判したDさんを「先生」と呼んであがめている。

 その度合いは異常なほどで,Dさんの記事が更新されるとすぐに「よいしょ」コメントが入る。

 ほとんどの時間をパソコンの前で過ごさないとわからないくらい,更新に敏感に反応している日もある。

 あるときは,Dさんのブログ上の質問に対する答えが,Aさんのブログのコメント欄に登場したりする。

 しかも,Dさんのブログ上では公開されていないのに,なぜかCさんはその内容を知っていた。

 ここまでくれば,中学生でも(もしかしたら,小学生でも)気づくことがある。

 そして,納得できてしまう。

 しかし,その内容を記事にしたときから,最低の中傷ブログはスタートしたのである。

 実は,Cさん= tsuguo-kodera さんというキャラクターは,自分を「ぼけ老人」などと表現しているが,この人は多くのブログに首をつっこんでいる。(IPアドレスで,ある人物と同一人物だとばれてしまう相手にはコメントしない。)

 自分では暇人と呼んでいるが,ネット依存度がかなり高い人物である。

 しかも,このCさんは,中傷に乗っかることはほとんどない。

 それなのに,中傷ブログには首をつっこんでくる。

 偽装表示がばれたレストランのおいしい料理の紹介をネットに書き込んでいるような人物である。

 あなたは個人攻撃をしているブログにアクセスして,平然とコメントを入れることができますか?


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コメント

もはや,自分の書いている記事が自分のブログのタイトルと矛盾していることにすら気づかなくなってしまったようです。

ちゃりこ父さんへ

 「机上の空教育論」というブログをお読み下さい。

 tsuguo-kodera というキャラクターは,

 「教育に情熱をかける教師のために」というブログでも,

 比較的まともなことを書く人格設定になっています。

 しかし,それだけに,「机上の空教育論」にコメントするという

 行為のちぐはぐ感はかなりのものです。

 全部が一人という指摘をした方が攻撃を受けています。

匿名さんへ

 そうはいかないのです。

 tsuguo-kodera という人物は,さまざまな教育ブログにコメントを寄せています。

 それを寄せられたブロガーは,真面目に答えを返していますが,誹謗中傷ブログへのコメントを喜喜として書いている人間と知らずにまともに相手にしている方が気の毒でなりません。

 偽装表示を繰り返して利益をあげている業者から,偽装してない,利益がでないものを買っている人というのも気持ちが悪いものではないでしょうか。

 たとえどのような病をもっていても,「だめなものはだめ」と言い続けなければならないものです。

 そうでないと,そういう病をもっている人は,社会からどんどん疎外されていきます。

 そうなってしまったあとの始末はとてつもなく重たいものになります。

拝見したところ、あまり気にしないことではないでしょうか、
おそらくですが、ピック病などを疑います。他の要因もありそうですが

個人攻撃はよくないよね。

私みたいに制度一般を批判していくんじゃなきゃ、公正でない。

でも、ひどい個人もいるからね。

tsuguo-koderaって、一時期よくみかけたよ。

群れるっていうのは、教育関係者と同じで最低だ。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より