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内田樹の『憂国論』と教育 ~その3 教育危機の本質~

 内田樹は,教育危機の本質を,

 「教師が教育を信じることを止めてしまった」ことによる,と表現している。

 また,「教育制度に対する敬意がかけている」人間は教師になるべきではない,とも述べている。

 教師の指導力に関する内田樹の目は非常にシビアである。

 この点は,私も決して引けを取らないと思っている。

 小学校のときからずっーと感じていたことだから。

 私と違う点は,「教育の奇跡」を信じることができていれば,知識に乏しく,教え方もたどたどしい人でも,長期的には教育的成果を残せている,という解釈である。

 私は「教育の奇跡」を信じることができるのは,やはりそれなりの成果が残せた(中学生にその成果のすばらしさを教わった)人だと考える。

 内田樹の説明で,説得力を感じてしまうものもある。内田樹世代の人々は,今では絶対に採用されないような教師に教わったが,そのせいで,学力が低くなってしまったわけでもない,というものである。

 しかしこれも,社会が成長する実感を持ちながら大きくなった世代であるという特殊性も大きく影響しているのではないかと思える。

 すでに教師の「偶像」が崩れた後の時代の教師として生き抜くためには,何が必要なのか。

 今は,それを考えるべきである。

 「教育の奇跡」を心から信じることか。

 教師が変われば,学校は変わる,と言われる。

 異動ではなく,一日のなかでも人間は変わることができる。

 初任者には,一校目の学校で,できるだけ大きな成功体験を味わわせてあげたい。

 それが生涯一教師としてはたらく原動力となる。

 もちろん,多くの失敗も必要である。

 しかし,ネックは失敗を許さない雰囲気。保護者の理解が必要である。

 たった一つの声掛けだけで,余計な問題が防げたり,大切な問題に多くの人を集中させることが可能となる。

 教師による子どもたちへの声掛けがどれだけ自然に行われているか,学校選びがある方は,それを参考にされるとよいと思う。 

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より