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今のような教師が本当に必要でなくなってしまう時代の到来

 オンラインの無料教材や優れた講演を自由にネットで見られる時代になりました。

 将来は,今のように塾に通わないと学力が高められない,ということのない時代になるかもしれません。

 今,若い先生方が困っているのは,教材研究の時間の不足です。

 言い訳として使えるという点では,困らないですむ理由の一つですが。

 現場に入る前から,自覚はもっていると思います。

 「自分が説明することによって,中学生を理解させることは可能だろうか?」

 こういう不安は,生徒の「わかった」という感想で紛らわされてしまうものですが,

 実は本当にわかったのかどうか,理解させたのかどうかを判断する方法をもっていないことが多い。

 そして,生徒から「わからない」と言われると自信をなくしてしまう。

 本当は,生徒が「わからない」という自覚をもってくれたそのときこそ,教師の本当の出番が到来するわけですが,多くの教師はそのタイミングで最適な受け答えをすることができない。

 財務省が,教師の給与を国際水準をふまえて引き下げようとしていますが,

 実質的に,教師に対する,ある部分(=学習指導)への期待は裏切られ続けてきたため,

 そこを肩代わりできるものさえ安いコストで確保できれば,

 たとえ給与を引き下げ,人材の質は落としたとしても,効果としては今まで以上のものが期待できるようになってしまうかもしれない・・・・・こういう危惧を抱いている教師はどのくらいいるのでしょう。

 教育のことがわかっていない人は,そういう頭の使い方をします。


 今,反復授業のようなものまで,現場で導入され始めている。

 家で授業を受けさせるのに,担任の教師が教える場面を使う必要はない。

 もっと上手に,映像を駆使してより分かりやすい教材が1つできてしまえば,それをどんな教師でも使うことができるようになってしまう。

 教師が教室で専門的なことを教えることがなくなれば,教科の専門性なんて必要なくなってしまう。

 「話し合い」の実践のように,生徒がガヤガヤやっているところを適当に歩き回っていれば,それで仕事がすんでしまうような時代が来ると,そもそも「教員免許」なんてものの必要性もなくなってしまう。

 子どもに犯罪行為さえしなければ,ちょっとしたまともな企業で働いた経験のある人なら,だれでも教師がつとまってしまう。

 こういった想像を笑う余裕が今の教師たちに果たしてあるのでしょうか。

 全国学力調査の結果は,ある意味,非常に残酷です。

 能力の高さが小5で証明されている子どもが,小6で担任が変わり,学力調査を受け,それが惨憺たる結果になったら・・・・。

 教師の現状を本気で心配している人は,子どもが学校に通っている人でなければ,それほどいないと思われます。

 ある人はビデオ教材は教師の代用にはならないと言っていますが,

 部分的には昔から使われているわけです。

 むしろ,「先生より分かりやすい!」と「評価」されてしまうビデオ教材,オンライン教材がある。

 こういうのがより身近になってくると,「先生,いらない」と子どもから烙印を押されてしまうかもしれない。

 そういう危惧をまともに感じられるのがいい教師なのか,笑ってすますことができるのがいい教師なのか,それはみなさんの教わった先生を思い浮かべて,想像してみて下さい。
 


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コメント

時代背景から考えて見ると、今までの体育会系の教師のありかたは、高度経済成長に必要だった「言われたとおりにする」そういう人材の育成方法ではなかったでしょうか
 要するに、言われたとおりにする、何も考えなくて良い。
それだけが求められ、スポーツ根性アニメなどの登場で、ますますこの要求に応える、教育の究極は黄色い物を見せても、この色は赤だと教える、答えは赤だ、それに従う事が教育だと、、、、、
 さて時代はバブルがはじけ、考えないで言われたとおりにする人材の供給源は途上国へ推移した。そうすると国内でのその手の労働者は急に必要がなくなり、企業は大量にリストラを始める、丁度少子化と重なり、しかもゆとり教育で教育が破壊され、再起しようとしても、教育者の人材はすでに境界性や演技性の人格障害者などが集まる、なぜなら景気の良かった時代に安月給の代名詞、教員、でもしか先生が中高年の教師に多く分布し、まともな教育を行えるような体制にない。

今必要な人材は、自立して考え、行動し、決断し、実行でき、自己分析が出来る人材が必要なのです。境界性や演技性の人たちに出来るはずはなく、いじめなどにより自殺者が出ても見て見ぬ振りをする教育現場。求められることと、育てる側の人材の能力に著しい乖離が生じていると思います。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より