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効率を重視すれば,それは「男女別学」に魅力はあるでしょう

 個人の能力を極限まで伸ばしたい,・・・・

 それだけが目標なら,「男女別学」の方が,効率的であるかもしれません。

 教師の側も,「男子を教育するのが得意(苦手)な教師」と,

 「女子を教育するのが得意(苦手)な教師」を分けた方が,

 総体として教育効果は高くなるかもしれない。

 しかし,その結果は,「功利主義」が陥る問題と同じです。

 「教育」の目標と,「部活動」の勝利を同じ次元で語るような人間たちは,

 おそらく「近道」の方を選ぶでしょう。


 中学受験で学校を選ぶとき,まずは

 男子校・女子校か共学かで迷うことが多いと思います。

 経営の問題で,共学が多くなっていることはご存じのとおりです。

 男子校や女子校が,共学校に対する自校の優位性を語るときは,「男女の違い」を強調することになるのは目に見えています。

 低俗な「偏差値が顔になっている」学校にいたっては,「脇目をふらずに勉強に集中できる」ことを男子校・女子校の特長であると主張しているかもしれません。

 そういう学校の「目標」は,たかがしれているわけです。

 ゴールがものすごく近いところに設定されている。

 逆に言えば,そういうあまりにも露骨な目標設定は,「ホンネ」の世界で生きている親たちには,これ以上の説得力がないというほどの威力を発する。

 私の勤務している学校にも,そういう親の子どもが入ってくるんですね。

 そういう子どものなかには,親とは全く違うスタンスで,自分の人生を切り拓く覚悟がもてるようになるのもいる。

 しかし,親と全く同じ感性のものもいる。

 こういう子どもは,気の毒ですが,全く伸びずに終わります。親子が共倒れになっていくというイメージです。

 最後は親はそれなりに理解できるようになることもありますが,子どもは手遅れです。

 (もちろん,このことも長い目で見れば,成長にとってのよいつまずきかもしれませんが)
 

 「そんなことを今やるのは無駄ではないか?」

 という疑問を平気で口にできる子どもは,残念なことに,教師からも同級生からもただの「点取りロボット」にしか見えなくなる。

 当たり前ですが,学校は,学力を高めること以外にも,その「学力」の根っこの部分をつくるためのさまざまな活動がある。こういう活動への意欲をもてない子どもは,すぐに「根腐れ」を起こし,学習にも身が入らないようになってきます。

 あの魔法学校が,男女別学だったりしたら,映画にはなりませんね。

 子どもたちは,真理への追究心が旺盛です。

 きっと,大人の哲学者よりも,ずっとずっと意欲的に「真理」を求めようとしています。

 逆に,「矛盾」にも気づいていく過程が,思春期というものでしょう。

 男女別学という「しくみ」には,決定的なものが欠けているのです。

 「不自然」かつ「恣意的」な環境で育った子どもたちに欠けているもので,

 それが欠けているがゆえに,

 その後の人生を生きるうえでとても気の毒に思えるのは,「失敗」体験です。

 教師の場合も,「失敗」体験を積み重ねて,学んでいくわけですが,

 「失敗」できるチャンスがない環境にいたのでは,力をつけることもできません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より