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最低な内容でも「視聴率100%」が保障されている教員

 「最低視聴率」の「戦犯」のように扱われている主演女優が気の毒である。

 「最低視聴率」という「話題」をふりまいても,見られる気配のない番組というのも相当なものかもしれない(見ていないので何とも言えない)が,

 社会では,このような「数字」(=結果)がすべてである。

 グローバル社会では,「私はよくがんばりました」などという話は何の役にも立たない。

 「グローバル人材」の育成をめざそうとする動きが本格化すれば,

 教育現場でも「数値目標」や「厳密なる評価」が当たり前のことになるだろう。

 ただ今回の話題は,そういう高いレベルのものではない。

 教師の授業の話である。

 「支持率0%」でも「視聴率100%」がとれる仕事をしていると,

 自分の授業のレベルに対する感覚がマヒしてしまう。

 

 次のように残酷な実験をしてくれる大学はどこかにないだろうか。

 同じ程度の能力のあるクラスを2つ用意してもらう。

 片方には,指導力不足で問題になっている教師のリアルの授業をしてもらう。

 もう一方には,指導力のある教師の授業をビデオで撮ったものを,ただ流して生徒に見てもらう。

 もちろんビデオには,実際の生徒たちとのやりとりも記録されている。視聴している生徒は,

 発言等に参加できない立場にいると考えればよい。

 どちらの方が,どれだけ学習内容を理解し,定着させることが可能だろうか。

 実験結果によっては,もう学習指導については教師は必要なくなってしまうかもしれない。

 生徒が「好きなタイプの教師」を選んで,タブレットを見ながら授業を成立させることもできてしまうかもしれない。

 指導者の教師を選択できるシステムにすると,「視聴率0%」の教師が生まれてしまうかもしれない。

 教師は,10年かけてやって授業ができるようになる,そんな存在では許されない。

 とても厳しい職業である。・・・・はずである。

 「視聴率100%」には慣れない方がよい。

 できたら,若い人は2校目で,全員,「荒れた学校」を経験すべきだと思う。

 そこで真価が問われる。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より