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人の悪口を言ってバランスをとっている子どもと大人

 他人の悪口を言って精神的なバランスを保っているという子どもがいる。

 こういう子どもに,「人の悪口はいけない」という

 「当たり前」のことしか言えない教師がいる。

 子どものバランスが崩壊すると,自業自得だとして納得する。

 「悪者を退治した」と得意気になる教師がいたのだろう。

 「指導」の意味がわかっていない教師が,どれだけいたか,20年もたってみると,若い教師がそうであるのは仕方がないと思っても,同じような年配の教師が多すぎたら,

 「指導力不足の再生産」に拍車がかかるという危機感がもたげてくるので,これを書くことにした。

 なぜ,人の悪口を言うことで,バランスを保てるのか。

 家庭環境が影響しているケースが多いが,

 現状を分析しなければならない。

 友達はどうなのか。

 他の教師はどうなのか。

 攻撃対象になっている生徒にはどういう特徴があるのか・・・・。

 子どもを分析するまでもなく,

 「悪いことは悪いと言う」ことだけでバランスを保っている教師がいることに気づく。

 これも,本当は「指導対象」である。

 しかし,どうしても教師は後回しになる。

 そうこうしているうちに,

 「生徒が言うことを聞いてくれない」という愚痴をこぼすようになるが,もうこの時点で教師失格である。

 当たり前のことが,なぜ当たり前にできないのか。

 この答えは簡単ではない。

 「当たり前にやれ」などというのは,近所の怖いおやじでも言えるセリフである。

 教師の役割は,「指導すること」である。

 事例の件で,一番いいのは,

 本人ではなく,「友達の活躍」に期待することである。

 課題のある生徒が立ち直る一番のきっかけは,「友達」である。

 どういう声のかけ方が効果的かは,当たり前だがときと場合による。

 戦場は常に流動的である。

 こういうところにのこのこと出てきて,

 「悪いことは悪い」というのは,すぐに撃ち殺される。

 教師よりも,友達の方が,より戦略的に動いてくれる。

 一つ,書いておきたいことがある。

 古い「江戸時代史観」というのがある。

 「士農工商」という言葉の意味が分かっていない。

 おそらく,この「士」は何のことか?と聞いても,正解は言えまい。

 朱子学とセットにして学ぶべき言葉が「士農工商」である。

 古い「江戸時代史観」は,差別意識と結びついているからやっかいなのだ。

 これをとてもとても大事にもっている人がいる。

 歴史教育の生き証人だから,もっといろんな発言をしてほしい。

 誤った認識というのが,いかに人間を歪めていくかがよくわかる。

 私たち日本人には,江戸時代の人々がはぐくんできた

 「役意識」が受け継がれている。

 人は,「役割意識」をもって,社会に貢献してきたのである。

 それを,個人の欲望で打ち消そうとする人間が,教師のなかに紛れていた。

 教師を職業として選んでしまうと,どうしても自分の欲望のかたちが

 表に出やすくなる。

 上に見られたい,賞をとりたい,と思えば,そんなことばかりが話題に出る。

 これは,「役意識」ではなく,ただの個人的な欲望である。

 江戸時代の人々を甘く見てはならない。

 職業による身分の差別を口にするのは,最低の人間のすることである。

 そんなことで精神のバランスをとっている自分自身を最低だと呪ってほしい。

 警察に恨みがあるのは理解できなくもない。

 しかし,差別はいけない。

 自分がやってはいけないと書いていることをそのままやっていることに気づくべきである。

 自分が最低の人間だという自覚があれば,まだ正常の範囲内である。

 
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コメント

私の体験からすると、自分たちを正当化するために人の悪口を言っているのはいつも教育関係者の側だったな。
職業の優劣をつけるのはもちろんいけないことだけれど、狭い空間で年端の行かない子供相手だからって隠蔽ばかりしてきた歴史があれば、ねえ。
で、断罪しているご自分って・・・・

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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