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「教えると学ばないのが人間」という出発点

 ふと,3週間の教育実習中,全く実際の授業を行わせず,授業参観だけさせておくのと,

 今まで通り授業をさせるのとでは,どのくらい「教育効果」に違いが出てくるか,と考えてみた。

 授業はさせないが,指導案は書かせる。

 指導教諭は,その指導案をベースにするものの,当然,指導案通りには授業はしない。

 授業が終わった後,実際の授業の展開を記した,指導事例を「指導案」のように書かせる。

 3週間で,事前に提出した指導案と,実際の授業がどれだけ近くなっていったかで,評価を下す。

 ・・・・授業をさせなければ,評価などできない・・・・それは当然の意見である。

 しかし,授業をさせてしまうと,その実習生が教師に向いているかいないか,瞬時に判断できてしまうのが哀しいところである。

 以前も書いた通り,ほぼ初対面の挨拶でそれがわかってしまうのだが,授業が始まった瞬間に確信に変わってしまうのが哀れである。

 どうせなら,授業を見る目だけをしっかり育てて,それを今後の成長の糧にしてほしい・・・というのも,哀しい願いである。

 せめて,1週間は授業参観期間,3週間を教育実習期間にする,という制度の変更ができれば,効果が期待できないだろうか。

 本当なら,最初の1週間で「この人から学ぶことはない」と感じた場合は,すぐに別の学校を探せる仕組みがほしいところであるが,そこまではもちろん無理であろう。

 人材育成のプロは,

 「教えると学ばない」という人間の弱点を知り尽くしている。

 何度となく研修を積み重ねても,成長できない人がいることくらい,だれでも想像つくだろう。

 「自ら学ぼうとする意欲」こそが成長の糧なのである。

 そういう意味で,古くから徒弟制度は究極の人材育成の方法であった。

 ある自治体は,しっかりと予算を組んで,今でも長期研修の先生を私の学校に送り出してくれる。

 1か月間,同じ部屋で時間を過ごしてもらうが,その先生に「教える」場面はそれほど多くはない。

 でも,授業は好きなだけ参観してもらう。

 生徒が授業中に書いた文章なども,読んでもらう。

 長期研修の先生の,指導者としての資質も力量もわからないから,何を学んでもらうかは,こちらが決めることはない。

 教育実習生にも,長期研修の先生にも,同じことを伝えている。

 子どもに教え込もうとするから授業は失敗する。

 子どもが何を考え,何を学びとろうとしているかがつかめるような授業をしないと,

 後で行かせる失敗ができない。

 子どもも失敗するし,教師も失敗する。

 だから,成長のきっかけが生まれる。

 そういう「教育の場」が生き残れるのも,そう長くはないのかもしれない。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より