粘着質のいじめの見本
ある誹謗中傷専用ブログがまた息を吹き返した。
ということは,攻撃相手のブログが再開したからだろうと確認してみたら,その通りだった。
私のブログと勘違いして攻撃された伊東先生には,たいへんなご迷惑をかけてしまった。
こちらのブログを長く読んでいただいた方には,「ああ,あの人のブログね」とすぐにおわかりいただけると思うが,伊東先生に対する恨みは相当に深いようで,あいかわらず徹底的にこきおろして楽しんでいる。
内容はゼロである。2チャンネルならともかく,FC2ブログで継続しているのはすごいことである。
同じようなレベルの惨いブログはさすがにFC2ブログのなかでも他にはないだろう。
タイプミスの傾向が「本尊」と全く同じなのはご愛嬌としても,
こういう粘着質の個人攻撃は,
教育の立場からすると,それが生徒対生徒でも起こっているわけだし,これからも増え続けるだろうと思われるから,その対処法も含めて,参考にすべき「教材」となっている。
それだけ簡単に,相手を不快にさせることも,追いつめることもできるのがネットいじめの恐ろしさである。
道徳の授業では,こんなことしか書けない人への憐憫の情というのを引き出すことが可能である。
いじめをしている本人自体が最も惨めで哀れな存在であるということは,「いじめ問題」を語る上では常識となっている。
被害者というのはあたたかい救済の手がさまざまに考えられるが,加害者は救いようがないのである。
ネット犯罪について私の学校で講演してもらった警察署の方は,
「犯人はすぐ特定します」
と力強く語ってくれたが,
わざわざインターネットの知識をひけらかして,
本人かどうか,ばれないようにできる,
なんて自分で書いてしまっているのがその「ご本尊」である。
昼間は学校に通っている生徒はともかく,
ひまをもてあましているネット依存症の方は始末が悪い。
自分で自分のブログに自作自演コメントを入れるほど「孤独」な人を救えるのは,だれだろうか。
「教育」の話をしたいのだが,今のところ,過去の私の経験では,それは「失敗」の連続であった。
相手の思考回路が壊れている,というかたちでの議論の打ち切りをされるようでは,教育者としては立つ瀬がない。
« 「ほこたて」と「表示と異なる食材の料理」との違い | トップページ | 知事や市町村長による教育委員会批判は大いに進めるべき »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「いじめ問題」カテゴリの記事
- 遠慮しないで情報を提供しろ!~いじめを見逃す環境との戦い(2018.12.29)
- 現場感覚のない人が社会感覚のない人にアドバイスを送る教育の世界の不思議(2018.12.01)
- いじめや暴力行為が多い自治体の「いじめ」対策の共通点(2018.10.31)
- いじめがない(認知されていない)学校で,いじめがある学校よりもたくさん実施されていることとは?(2018.10.30)
- データから見える「いじめ」発見の難しさ(2018.10.29)
「ブログネタ」カテゴリの記事
- 「大人になったら教師はいなくなる」は大間違い(2017.11.27)
- 歴史用語半減による「ゆとり」が生むもの(2017.11.19)
- 「功を焦る子ども」に成長が阻害される「弱者たち」(2017.09.26)
「教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事
- 遠慮しないで情報を提供しろ!~いじめを見逃す環境との戦い(2018.12.29)
- 偶然の重なりと緻密な演出~インスタレーションから受けた刺激(2018.12.22)
- 子どもから有能感を奪い取る方法(2018.11.25)
- 量より質が大事なものと,質より量が大事なものとは?(2018.04.23)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
この記事へのコメントは終了しました。
« 「ほこたて」と「表示と異なる食材の料理」との違い | トップページ | 知事や市町村長による教育委員会批判は大いに進めるべき »
コメント