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教材研究のしかた ~手抜き教師にとって都合の良い理屈に注意~

 「教材研究」と聞くと,学校関係者ではない方は,

 どのようなイメージをもたれているでしょうか。

 教科書以外のプリントなんかを独自につくるイメージでしょうか。

 いろんな文献や資料をあさっているというイメージでしょうか。

 実際の「教材研究」には,さまざまなレベルのものがあります。

 たとえば,「教科書に出てくる資料」をどう子どもに解釈させるか,

 そういう研究もできます。

 教材を準備する目的は,より効果的に学習目標を達成させることにあります。

 子どもの学習活動にどのような効果をもたらしたのか,

 そのチェックを経ずして,「教材研究」などあり得ません。

 ある研究会で紹介された研究授業を自分もやってみたが,うまくいかなかった,
 
 と不満をいう小学校の教師がいました。

 授業というのは,そういうものなのです。

 本人にとって何の研究が足りなかったのか,これ以上にわかりやすい話はありません。

 もうかなり前から,

 「PDCAサイクル」の大切さを学校現場では意識化されてきました。

 それなのに,まだ

 「教材研究」のことを

 「教材の準備」のことと勘違いしている教師がいるようです。

 「教材」ばかりを見て,「子どもの実態」「子どもの学習の活動自体」を見ることのない人間は,「教師」ではありません。暇なご隠居のためのサロンと,職員室を混同してはならないのです。

 「教材研究のしすぎ」という表現自体が,

 「教材研究」の本質的な意味がわかっていないことを表します。
 
 「教材研究をしすぎる」と,「何が成功で何が失敗かわからなくなることがある」

 という問題はあります。

 Aというクラスでは効果的だったのに,Bというクラスではそうでもなかった。

 Cという生徒は上手に使ったのに,Dはできなかった。

 などと,個人差・集団による格差などが生まれてきます。

 教材研究は,よく「壁にぶつかる」のです。

 こういうときは,一人で悩まないで,授業をみてもらうことが何よりです。

 あるいは,他の教科の教師が行うA,Bのクラスの授業を参観することです。

 教材研究をすればするほど,

 教師は子どもをよくみるようになります。

 「時間がない」「時間が足りない」と言っている教師と,

 そんなことは言わないで子どもとよくかかわっている教師を比べてみて下さい。

 教材研究ではなく,教員研究をすると,

 その違いがよくわかってきます。

 深い教員研究に基づいて,次世代の教師教育は行われなければなりません。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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