ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 全国学力調査結果の活かし方 | トップページ | 学校の「ムダ」は,いったいどこまで省くことができるか? »

高視聴率番組の制作現場から学べること

 俳優の堺雅人さんが語ったとされる,『半沢直樹』撮影の舞台裏は,

 学校現場の教師たちへのメッセージにもなると思われる。

 厳しい監督。

 納得のいくまで,繰り返し同じことに取り組ませるこだわり。

 今,学校現場に,

 この厳しい監督と,本物を求めて演技を繰り返す俳優の関係が見えるところはあるか。

 校長と教員,教員と生徒。

 どこかにあるだろうか。

 「楽しいこと」「飽きないこと」ばかりを重視する,どこかの先生に聞かせてあげたい。

 本当に納得のいくまで,苦しさに耐えるような学習ができる環境をつくらなければ,

 少なくとも作文だけの「生きる力」は身についたような気になっても,

 本当の「生きる力」など手にすることはできないだろう。
  
 
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へ
 

« 全国学力調査結果の活かし方 | トップページ | 学校の「ムダ」は,いったいどこまで省くことができるか? »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

学校評価」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 高視聴率番組の制作現場から学べること:

« 全国学力調査結果の活かし方 | トップページ | 学校の「ムダ」は,いったいどこまで省くことができるか? »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より