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教育委員会にいたらできなかったこと

 教育委員会の指導主事をやめてもうすぐ10年がたとうとしていますが,

 そこにいたらできなかったことに,今,たくさん取り組めています。

 授業をする,行事の指導をする,生徒会の指導をする,部活動の指導をする,研究会に出る,本の原稿を書く,PTAの行事に参加する,などなど。

 このブログを書くこともそうですが,ブログに限らず,堂々と

 文科省の考え方に異論を述べることができるのが,

 何より「教育にかかわっている」という実感がもてます。

 「教員の数を減らす」という財務省の要求について,

 一般の方の意見では,「減らすことには反対」「増やすべき」

 というものが多いようです。

 「教員の数」だけを問題にするのではなく,
 
 「学校の数」,「学校の規模」,「学級の規模」などとセットにして考えるべきことなのですが,

 やはり複雑な調査はしにくいですから,

 「教員は多い方がいい」という感覚が優位になってしまうようです。

 「公務員の数は減らした方がいい」が,

 「教員の数は増やした方がいい」というのは矛盾しているわけですが,

 「学校の先生の仕事はたいへん」という理解が広まっているのだとしたら,教育界にとっては決してマイナスの認識ではないと思われます。

 では,本当に

 「教員の数を増やして大丈夫なのか?」

 ・・・・財政的な問題はさておき,やはりただでさえ問題となっている教員の資質能力の水準を維持できるのか,ということが大問題になるはずです。

 公務員としての教員は,教育公務員のまま雇い続けることが難しい人というのが必ず現れます。

 そういう人のために,「公務員」色をもっとはっきり出して,いつでも学校現場から離れた行政の仕事ができるように,教師1年目から研修を課しておいた方がよいと思われます。

 たった1日,参観したり,教育活動に参加するだけでわかると思いますが,

 「並大抵の仕事ではない」のが教育です。

 いくら試験や面接で好成績・好印象を残しても,

 実際の子どもの教育に責任を持たせるとすぐに崩壊する人がいるわけだから,

 いつでも「違う業種の職場」に向かうことができるように,

 たとえば教員だけでなく,プラスアルファの資格をもった人が,教師になれるような仕組みが必要なのです。

 こんな思いつきを書いただけではどうしようもないのですが,

 もし,「教員の増員」が不可能であった場合,

 「教員数は削減されているが,実質的に,増員されたことと同じ」

 になるような政策を実施するという解決策もあります。

 それはつまり学校の統廃合のことなのですが。

 これは本当にもめる問題です。

 できたら,統廃合する前の学力と,した後の学力がどのように伸びるか,などのデータや分析が現れるとよいですね。

 「少人数に分けたら,効果が上がる」というのは,

 「いい先生が指導にあたったら」という条件がなければ成立しない,

 「希望的観測」にすぎないのです。

 「習熟度別指導」の効果も同様です。

 「いろんな学力の子どもが混在していて,それなりの人数がいること」

 これが,高い教育効果が期待できる状況だ,と言える証拠を示してくれる学者が出てくることに期待します。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より