「優等生」がいれば,「劣等生」もいる
「優等生」などという言葉が教育現場で語られたのはもうかなり昔の話である。
現在では,「卵は物価の優等生」などという用法で残っている表現を,
「生徒」に対して使うと,何が問題なのかは言うまでもない。
物事を学校教育の枠内にあることにあてはめて考えようとするのは,
二重の意味で無理がある。
学校教育の現場は,それはそれは「特殊」な世界である。
一般化できない話がいくらでもある。
一方で,学校にいる子どもたちは,いずれ社会に出ていく人間であり,
どんなかたちであれ,みんな「学校」を経験して社会の一員となっていく。
学校でつけられた「レッテル」や「幻想」が,その後の人生に尾を引いていくことがありうる。
「価値」を表現したいときに,どういう「たとえ」を使うことができるかで,
その人間の質がわかってしまう。
特に上下の関係,優劣の関係にうるさい人間ほど,
学校時代に浸みついてしまった「差別用語」がぽろぽろと顔を出すのである。
気の毒なのは,そういう人間を育てたのは間違いなく学校なのである。
学校が再生産している「負の遺産」を洗い出すことも,
教育改革を進めていくうえで忘れてはならない。
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