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全国学力調査の学校別成績公表に反対する主張の裏にあるもの

 中学校の学力調査は,「国語」「数学」で実施されている。

 この結果を行政が公表する意義や目的には様々なものがあろうが,

 学校を選ぶ保護者たちが「それを知りたい」と望むならば,公開しなければならないのが行政のつとめである。

 データを隠すことが「教育的配慮である」という考え方もわからなくはないが,

 どう考えても「知る権利」の方が重要である。

 「データが公開されれば,人気校と不人気校に二分される」という考え方がネット上に見られるが,それは非常に極端なものである。

 もちろん選択で迷っている二校があったとして,最終的に,調査結果の点数が高い方に決めるという人は出てくるかもしれない。

 「調査結果の数字」は,あくまでも選択肢の一つにすぎない。

 「調査結果を重視して学校は選択される」と強硬に主張したければ,それだけの根拠を示すべきである。

 そういう主張をすること自体が,保護者や子どもをバカにしているのだと気が付いてほしい。

 仮に,「成績が悪い」ことだけを理由に,入学希望者が激減する中学校があったとしたら,

 そんな中学校にはそもそも存在意義がなかったと考えることもできる。

 中学校には,部活動をはじめとして,保護者や子どもが期待を寄せている機能がたくさんある。

 たかが「国語」と「数学」の成績が悪いだけで,そっぽを向かれてしまうような魅力のない学校があるのなら,それは税金の無駄というものである。


 中学校の教師に対して「結果の公開に賛成か反対か」と真面目にインタビューしたら,

 教師は「子どもの立場」と「自分の立場」のいずれを重視するにせよ,どちらかというと「反対」と答える人が多いだろうと思われる。

 しかし,ここで想像してみてほしい。

 調査結果が非常に悪い学校(の校長や教師)が,

 「できのよくない子どもたちが多いことがばれるのはよくない」ことを理由に情報の公開を拒むことを。

 「●●中は勉強ができない学校」というレッテルを貼られたくない。

 少なくとも公開をしなければ,そういうレッテルを貼られる心配はなくなる。

 ・・・・なんていう「思考」を働かせているとしたら。

 そもそもそんな低レベルな中学校など,あるわけがない。

 もしあったとしたら,そんな中学校は本当になくすべきである。

 ダメな学校というところは,止めどなく「後ろ向き」なものである。

 「前進した結果」という「未来」を想像することができない。

 「明るい未来」を創造する気がない。

 ・・・・・・・・・こういう発想をする親がいることを忘れてはならない。

 学校選択自由化を実施した地域でつとめていた経験からすると,

 学校間格差は,現実的に存在し,「不人気校」になってしまう理由は,本当に様々である。

 部活動が活性化しなくなるから,そもそも生徒数が少ない中学校は,ますます少なくなる傾向がある。

 しかし,部活動の指導に熱心な教師が異動してきて,一部の部が強くなると,また人気が復活することもある。

 中学校の経営努力と生徒のがんばりによって,

 学力調査の結果が劇的に向上すれば,それだけで注目材料になってしまうということはあり得る。

 いずれにせよ,
 
 学力調査の結果は,「隠さなければならない情報」とは言えないというのが私の考えである。

 あと,選挙に敗北した党の代表者は最も叩きやすい「素材」なのである。

   
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コメント

教師の虚言、隠蔽回数を学校別に公表するほうが大事だろうね。
学力よりも、子供の命に関わるリスクが大きいものね。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より