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なぜ漢字・計算・英単語のコンテストは続いているのか?

 私が2校目の中学校に異動してすぐに始めた3つの「コンテスト」は,

 10年以上たった現在でも続いているようである。

 これらのコンテストに全員が参加してくれることによって,

 入試で10点台,20点台という得点しかとれない子どもがいなくなる。

 異動して最初のテストの点数には(私の社会科ではなく,数学や英語の点数)驚いた。

 模擬試験を受けさせると,1題目の計算問題から解けない中学生が,

 高校に入りたいと言っている。

 それならば,計算くらい解けよ,漢字くらい,書けるようになれよ

 というのが学年主任としての私の言葉だった。

 コンテストの企画には,当初,国語や数学,英語の教師の協力は仰いでいない。

 中学校というところは,新しい取り組みの趣旨は理解してもらえても,

 「だれがやるの?」という話になって,いつの間にかお蔵入り,ということがある。

 提案した人間が責任をもってやる・・・・これが学校改革の第一歩であったと思える。

 社会科の教師の私が,計算問題や漢字の問題をつくるのだが,

 途中から,数学の教師などが協力してくれるようになった。

 もちろん,係の生徒も駆り出す。

 専門の役員もつくり出す。

 みんなで運営する「学校行事」のようなものである。

 3つのコンテストは,努力さえすれば,だれでも100点がとれる「テスト」である。

 3つのコンテストで,すべて100点をとれば,「三冠王」になれる。

 3学年すべてで100点をとり,「九冠王」になることも夢ではない。

 「点数主義か?」と思われるかもしれないが,

 これで確実に「高校進学への自覚」が芽生える中学生がでてくる。

 コンテストまでの学習は,朝の20分くらいを使うことが多かったが,

 今は,「朝読書」を行う学校が増えている。

 それでも,・・・・多くの教師が異動によって入れ替わっても,

 このコンテストが存続しているということは,それなりの意義を多くの教師や生徒が

 感じてくれて,そして成果がでているからだろう。

 このテストについては,私なりに,大きなねらいがもう一つあった。

 それは次の記事で記したいと思う。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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