ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 朝日新聞も覚悟した学力調査の結果公表 | トップページ | 「はてな?」の印象が強い静岡県教委の諸政策 »

学校規模の拡大こそが「教育」を救う手立て

 忘れないように,ときどき主張しておきたい。

 学校がなくなるのは,卒業生として,また,地域の住民としては,さびしいことかもしれない。

 しかし,子どもの数が減少し,学校が小規模化しているなか,何が起こっているか。

 少人数になって教育効果が上がるのであれば,もうすでにその「成果」は存分に発揮されていなければならない。

 学校規模が小さくなっていることの大問題は,

 若い教師が20~30年前には当たり前に学べたことが,

 今はできずに困っている現状である。

 ある勉強会に出てわかったのは,

 「そんなことは自分の学校の先生に教えてもらえないのか」

 ということをわざわざ学びに来ている若い教師がいることである。

 教育に対する国民の目は,今後もますます厳しくなっていくだろう。

 こういうときこそ,学校の教師が団結して,

 よりよい学校づくりに燃えていなかければならない。
 
 しかし,小さい規模の学校では,そもそも教員の数が少なく,

 満足のいく「学び合い」もできない。

 愚痴になるが,私は小規模校の教員だったとき,3つの部活動の顧問をかけもちしていたことがある。

 今,よく生きていると,ほっとすることがある。

 学力調査の結果の上手な活用法というのは,いくらでもある。

 とりあえず,「少人数学級を増やす」ことは,

 学校規模を大きくすることで余った教師を活用できるようにしていくべきである。

 子どもの数がどんどん減っているなか,教員を増やす必要はない。

 管理職のなり手が足りないことも大きな問題である。

 学校の数を減らせばその問題も解消される。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へ 

« 朝日新聞も覚悟した学力調査の結果公表 | トップページ | 「はてな?」の印象が強い静岡県教委の諸政策 »

教育」カテゴリの記事

学校選択制」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

学校評価」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

「教育」を本気で救うなら「学校」を廃止すること。

職業として成り立たせてしまっているからこそ、都合が悪いことが起こると嘘八百、隠蔽三昧となる。

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 学校規模の拡大こそが「教育」を救う手立て:

« 朝日新聞も覚悟した学力調査の結果公表 | トップページ | 「はてな?」の印象が強い静岡県教委の諸政策 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より